改訂新版 世界大百科事典 「カタラウヌムの戦」の意味・わかりやすい解説
カタラウヌムの戦 (カタラウヌムのたたかい)
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…ローマの将軍アエティウスはフン族にブルグンドを討たせて2万人を殺戮した。そのフン族もアッティラ王の下に大軍をもってガリアに攻め入ったので,アエティウスは少数のローマ正規軍のほかガリア定住の同盟部族,個別的定住の異民族(ラエティ)を総動員し,451年カタラウヌムの戦でこれを退けた。フンはアッティラの急死(453)で瓦解した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」