テオドリック

百科事典マイペディア 「テオドリック」の意味・わかりやすい解説

テオドリック[大王]【テオドリック】

ゴート国王(在位471年―526年)。493年オドアケルを倒してイタリア征服東ゴート王国建設ボエティウスカッシオドルスを登用してローマ文化尊重産業を保護し,他のゲルマン部族国家との協調,統一をめざした。→ゴート
→関連項目カタラウヌムの戦ヒルデブラントの歌

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「テオドリック」の意味・わかりやすい解説

テオドリック(大王)
ておどりっく
Theodoric 英語
Theodoricus ラテン語
(456ころ―526)

東ゴート国王(在位471~526)。幼年時代、人質としてビザンティン(東ローマ)帝国の宮廷に生活した。成人後は父王の後を継ぎ、東ゴート人を率いて帝国に軍事的に奉仕し、高官に任命されたが、彼の勢力の増大を恐れたビザンティン皇帝ゼノンは、東ローマの帝位を簒奪(さんだつ)したオドアケルの追討委任するという名目で、テオドリックをイタリアに送り込んだ(488)。彼は歴戦のすえオドアケルを倒し、ビザンティン皇帝の名目的宗主権の下に、イタリア、シチリアラエティアノリクムダルマチアなどを支配下に収め、東ゴート王国を建てた。内政上はローマ文化とローマ的統治組織を継承し、文官には、哲学者ボエティウス、文人カッシオドルスをはじめ、ローマ人をも登用したが、武官は東ゴート人に限り、東ゴート人とローマ人とが融合するのを極力避けようと努めた。対外的には、フランク王国に対抗するため、婚姻政策を中心にチューリンゲン人、ヘルーレル人その他ゲルマン系諸部族の大同団結を企てたが、完全な成功は収めなかった。

[平城照介]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「テオドリック」の解説

テオドリック
Theodoric

456ごろ〜526
東ゴート王国の王(在位471 (ごろ) 〜526)。大王と呼ばれる
東ローマ皇帝の委任によりイタリアに攻め入ってオドアケルを破り,493年東ゴート王国(首都ラヴェンナ)を建国した。その支配地域はシチリア・ダルマティア・西ゴート王国にもおよんだ。ローマ帝国時代の旧制度を守ってローマ人との融合をはかったため,イタリア半島は平和と秩序を保つことができた。しかし,信仰がアリウス派であったため,ローマ人の心を得ることはできなかった。

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