カブレラ(読み)かぶれら(英語表記)Alexander Alberto Cabrera

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カブレラ」の意味・わかりやすい解説

カブレラ
かぶれら
Alexander Alberto Cabrera
(1971― )

プロ野球選手(内野手:右投右打)。12月24日、ベネズエラ生まれ。1991年にドラフト外でアメリカ大リーグ(メジャー・リーグ)のシカゴ・カブスと契約したが、96年に解雇された。その後、メキシカン・リーグや台湾でプレーしていたが、2000年にアリゾナ・ダイヤモンドバックス大リーグ・デビューを果たし、初打席で初ホームランを放った。しかし、その年のオフに、ダイヤモンドバックスは巧打者マーク・グレースを補強したため、一塁のレギュラーとしてのポジションがなくなり、新天地を日本に求めた。2001年(平成13)に西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)へ入団。ウェイト・トレーニングで鍛え上げた巨体で、それを目いっぱいに使う豪快なスイングから特大ホームランを連発し、本拠地・西武球場(現西武ドーム)の場外へたたき出す光景がしばしば見られた。日本での1年目はホームラン49本を放ったが、タフィ・ローズ王貞治(さだはる)に並ぶ年間本塁打55のプロ野球タイ記録で本塁打王となったため、無冠に終わった。しかし翌2002年にはホームラン55本を放ち、本塁打王となり、さらにチームのリーグ制覇への貢献が評価されて最優秀選手MVP)にも選ばれた。2003年もホームラン50本をマーク、04年は故障もあって出場試合64にとどまったが、その少ない機会で25本のホームランを放った。2005年は7月11日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、来日538試合目で200本目のホームランを放って通算200本塁打到達の日本最速記録をつくるなど、36本のホームランを放ち、復活した。2006年は打率3割1分5厘、ホームラン31本で100打点をマークし、初の打点王に輝いた。

[出村義和]

2007年以降

2007年は打率2割9分5厘、ホームラン27本、81打点といずれも前年を下回ったが、5位と低迷したチームにあって唯一ベストナインに選出されるなど健闘。しかし、同年シーズンオフに自由契約となった。2008年からはオリックス・バファローズでプレー。

 大リーグでの1年間の通算成績は、出場試合31、安打21、打率2割6分3厘、本塁打5、打点14。2007年までの日本での通算成績は、出場試合827、安打923、打率3割6厘、本塁打273、打点685。獲得したおもなタイトルは、本塁打王1回、打点王1回、最優秀選手(MVP)1回、ベストナイン3回。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カブレラ」の意味・わかりやすい解説

カブレラ
Cabrera, Luís

[生]1876. サカトラン
[没]1954
メキシコの法律家。国立法律学校の民法教授,校長国会議員 (1912) を歴任。 V.カランサ政権下で 1914~17年と 19~20年の2度蔵相をつとめるとともに法律専門のブレーンとして活躍。主著『政治論集』 Obras Políticas (20) ,『カランサの遺産』 La Herencia de Carranza (20) ,『革命の決算』 El Balance de la Revolución (31) など。

カブレラ
Cabrera y Griñó, Ramon

[生]1806.12.27. トルトサ
[没]1877.5.24. ロンドン
スペインの軍人。第1次カルリスタ戦争において反乱軍を指揮し,カタルニャ,アラゴン山間部で数々の勝利を収め,モレラ伯に任じられたが,1839年カルリスタ内部の分裂により,翌年敗北を喫し,フランス,次いでイギリスに亡命。 46~49年再度カタルニャにカルリスタ軍を指揮したが,敗れてイギリスに亡命した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「カブレラ」の解説

カブレラ

生年月日:1806年12月27日
スペインの軍人
1877年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

スキマバイト

働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...

スキマバイトの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android