ブレーン(読み)ぶれーん(英語表記)James Gillespie Blaine

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブレーン」の意味・わかりやすい解説

ブレーン
Blaine, James G.

[生]1830.1.31. ペンシルバニア,ウェストブラウンズビル
[没]1893.1.27. ワシントンD.C.
アメリカ合衆国の政治家。フルネーム James Gillespie Blaine。共和党の創立者の一人。1858年メーン州下院議員に当選し 2期務め,1863~76年連邦下院議員,1869~75年連邦下院議長,1876~81年連邦上院議員。南北戦争ではエブラハム・リンカーンを支持。共和党内でジェームズ・A.ガーフィールドやウィリアム・B.アリソンらと組んでロスコ―・コンクリング対立。1876年の大統領選挙でラザフォード・B.ヘーズとの候補者指名争いに敗れた。1881年ガーフィールド大統領の国務長官に就任したが,同大統領が暗殺されると辞任。1884年大統領候補に指名されたがグローバー・クリーブランド敗北。1889年ベンジャミン・ハリソン大統領のもとで再び国務長官に就任し,1892年まで務めた。ラテンアメリカ諸国との関係改善に努め,1889年の米州会議に重要な役割を果たした(→汎アメリカ会議)。

ブレーン
Blane, Sir Gilbert

[生]1749.8.29. エアシャー,ブレーンフィールド
[没]1834.6.26. ロンドン
イギリスの外科医。エディンバラ大学で医学を学び,1778年グラスゴーで学位を得た。翌年海軍のロドニー提督 (のちのロドニー卿) の受持医となり,提督に従って西インドに向った際にレモン類の効用を説き,新鮮な果実船員の食事に加えることを進言。イギリス海軍はレモン類のジュースによって船員の壊血病を防止し,健康管理に成果をあげた。ロンドンに帰ったのち,83~95年セントトマス病院の医員となるとともに,ジョージ4世,ウィリアム4世の侍医。 1812年叙勲。主著海員の病気の観察』 Observations on the Diseases of Seamen (1785) 。

ブレーン
Braine, John

[生]1922.4.13. ヨークシャーブラッドフォード
[没]1986.10.28. ロンドン
イギリスの小説家上昇志向の若者ジョー・ランプトンとその犠牲となる年上の女を描いた処女作上流社会の席』 Room at the Top (1957,邦題『年上の女』) で一躍有名となり,「怒れる若者たち」の一人に数えられた。続編『上流社会の生活』 Life at the Top (62) のほか,『嫉妬深い神』 The Jealous God (64) ,『叫ぶ獲物』 The Crying Game (68) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブレーン」の意味・わかりやすい解説

ブレーン
ぶれーん
James Gillespie Blaine
(1830―1893)

アメリカの政治家。ワシントン大学卒業(1847)後一時教師をしていたが、のちメーン州で新聞を編集(1854~60)。共和党創設に参加し、メーン州共和党委員会議長(1859~81)に推されるなど共和党有力政治家となり、連邦下院議員(1863~76)、同議長(1869~75)、連邦上院議員(1876~81)を歴任。共和党内の「ハーフブリーズ(雑種)」派の指導者としてコンクリングRoscoe Conkling(1829―88)らの「ストルワーツ(生粋(きっすい)の党人)」派に対抗、84年の大統領選挙に出馬したがクリーブランドに敗れた。ガーフィールド、ハリソン各政府の国務長官(1881、1889~92)となり、イギリスに対抗して中南米市場進出を目ざし、第1回汎(はん)アメリカ会議を主宰(1889)、同事務局のワシントン設置、互恵通商推進、地峡運河政策形成などに努めた。

[高橋 章]

『山本幹雄著『アメリカ帝国主義の形成』(1977・ミネルヴァ書房)』

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