日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルケミシェ」の意味・わかりやすい解説
カルケミシェ
かるけみしぇ
Carchemish
北シリアのジャラブルスの北1キロメートル、トルコ領内の南国境沿い、ユーフラテス川右岸に位置する古代城砦(じょうさい)都市。北メソポタミアから地中海に至る大商業路の戦略上の重要拠点。文献には紀元前18世紀のマリ文書が初出である。フルリ人の北シリア侵出後、ミタンニ王国に服し、さらに前1340年ごろヒッタイトに征服され、王子の1人が王となってヒッタイト帝国南東部の要衝となり、北シリアのヒッタイト・フルリ混合文化の中心となる。前1190年ごろ帝国とともに滅びたが、やがてヒッタイト系遺民の独立小王国が形成され、新来のアラム人要素の優勢な都市国家として存続。のちしだいにアッシリアの支配下に入り、前717年、新アッシリア帝国に併合された。前605年、この地で新バビロニアのネブカドネザル2世がエジプトのネコ2世の大軍を破って、エジプトの西アジア支配の野望をくじいた。現在、カルカミシュもしくはバラクとよばれる小村がある。
[山本 茂]