カルル・マルテル(その他表記)Karl Martell; Charles Martel

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルル・マルテル」の意味・わかりやすい解説

カルル・マルテル
Karl Martell; Charles Martel

[生]688頃
[没]741.10.22. キエルジーシュルオアーズ
メロビング朝末期のフランク王国の宮宰 (在職 720~741) 。フランク王国の分国アウストラシアの宮宰ピピン (中ピピン) の庶子。父の死後,義母プレクトルートが摂政となったが,これを押えて,717年ネウストリア,ブルグンド,アウストラシアの宮宰となり,次いで 720年全フランクの宮宰となる。メロビング王家の衰退に乗じ,実力による支配確立に努力し,ザクセンアラマンニなどを討った。 732年にはツール=ポアティエの戦いでサラセン軍を撃退し,ヨーロッパを異教徒の手から守った。このとき,サラセン騎兵に対抗するため教会領を没収して騎士に与え,歩兵中心のフランク兵制を改革したことが,封建的主従関係の一段階をなした。 733年以降メロビング王家空位のため,実質上カロリング家のマルテルが全土を支配,正式には子供のピピン (小ピピン) がカロリング朝を開いた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

関連語 ポアティエ

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む