フランス中西部,ビエンヌ県の県都。ポアトゥー・シャラント地方の中心地。人口8万7012(1999)。ビエンヌ川の支流クラン川に臨む。ガロ・ロマン時代から開けた地。732年カール・マルテルはこの近傍でイスラム教徒を阻止し,また百年戦争初期のポアティエの戦(1356)ではフランス軍がこの地で敗れた。1431年には大学が創設されている。従来,農牧業の中心地であったが,近年,機械・電機・印刷業などの工業化が進んでいる。
執筆者:高橋 伸夫
ガロ・ロマン時代の遺跡として城壁の一部が残り,ミネルウァ像など発掘品も多い。ガロ・ロマンの遺跡上に立つサン・ジャン洗礼堂は,古代末期建築の特徴を備え,4世紀とする説もあるが,メロビング期にも様式の継続があったことを示す7世紀の建築とされる(後に教会堂に変更)。内部のロマネスク壁画(12世紀)は,明るい地色の1100年ころのポアトゥー地方の壁画の特色を示す。同じ7世紀のゲルマンの彫刻例を残すデューヌ地下墳墓礼拝堂が郊外にある。サンティレール・ル・グラン教会(11~12世紀)は,初代司教ヒラリウスの聖遺物を有する大規模な巡礼路上の教会堂で,7廊式円蓋列架構身廊という独特の形式をみせる。ノートル・ダム・ラ・グランド教会(12世紀)は,連続アーチ,豊富な彫刻装飾およびタンパンのない扉口からなる正面構成を示すポアトゥー派ロマネスクの代表例。内陣ボールトと地下祭室にロマネスク壁画が残る。サン・ピエール大聖堂は,大部分アンジュー様式(プランタジネット様式)で,方形後陣中央のキリストの昇天と磔刑を表す大ステンド・グラス(12世紀末)はロマネスク期の作例。プランタジネット朝治下で,アンジュー様式の優れた世俗建築,旧宮殿大ホール(12世紀末。現,裁判所)が造られた。
執筆者:岸本 雅美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…732年にフランク王国の宮宰カール・マルテルが,フランス西部,トゥールToursとポアティエPoitiersの間において,イスラム教徒の軍を撃退した戦闘。729年スペインの地方総督アブド・アッラフマーン‘Abd al‐Raḥmān al‐Ghāfiqī(?‐732)に率いられたイスラム軍は,ロンスボー(ロンセスバリェス)の峠を通ってピレネー山脈を越え,ガスコーニュ地方を襲い,さらにボルドーを占領したうえ,ガロンヌ川右岸でアキテーヌ公ウードの軍を粉砕した。…
…732年にフランク王国の宮宰カール・マルテルが,フランス西部,トゥールToursとポアティエPoitiersの間において,イスラム教徒の軍を撃退した戦闘。729年スペインの地方総督アブド・アッラフマーン‘Abd al‐Raḥmān al‐Ghāfiqī(?‐732)に率いられたイスラム軍は,ロンスボー(ロンセスバリェス)の峠を通ってピレネー山脈を越え,ガスコーニュ地方を襲い,さらにボルドーを占領したうえ,ガロンヌ川右岸でアキテーヌ公ウードの軍を粉砕した。…
※「ポアティエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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