宮宰(読み)キュウサイ(英語表記)major domus

デジタル大辞泉 「宮宰」の意味・読み・例文・類語

きゅう‐さい【宮宰】

フランク王国メロビング朝の最高官職。元来は王家家政をつかさどるものだったが、王権衰退とともに地位を高め行政職となったもの。マヨルドムス。

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改訂新版 世界大百科事典 「宮宰」の意味・わかりやすい解説

宮宰 (きゅうさい)
major domus

ローマ帝国末期および民族大移動期のゲルマン諸王国における最高の宮廷職で,とりわけメロビング朝フランク王国において重要な政治的役割を果たした。もともとは王家の家政上の仕事が中心であったが,王領地の管理をつかさどり,従士団の長をも兼ねるに及んで,国内行政の最高職に発展した。メロビング(フランク)国王以外に各分国王も宮宰を置き,なかでもネウストリアアウストラシアブルグントの宮宰が頭角を現した。メロビング時代末期には王権の弱化に伴い,宮宰が政治上の実権を握り,アウストラシアの宮宰カロリング家ピピン2世(中ピピン)が,ネウストリアの宮宰エブロインを破った(テリトリーの戦,687)のちは,ピピンが全国の実権を握り,その子カール・マルテルがトゥール・ポアティエの戦(732)でイスラム教徒の侵入を撃退したことにより,カロリング家の名声が確立し,その子ピピン3世小ピピン)は751年クーデタにより王位に就き,カロリング朝を開いた。
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百科事典マイペディア 「宮宰」の意味・わかりやすい解説

宮宰【きゅうさい】

フランク王国メロビング朝の最高の官職でmajor domusといい,〈家政の長〉の意。フランクの分王国のアウストラシアの宮宰からフランク王国全体の宮宰となったピピン2世以後その家系が次第に勢力をのばし,王権の弱体化とともにその実権を握り,カール・マルテルを経てピピン3世の時,メロビング王家を廃してフランク国王位についた。
→関連項目ピピン[1世]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮宰」の意味・わかりやすい解説

宮宰
きゅうさい
major domus ラテン語

フランク王国メロビング朝の最高の宮廷職。もとは家政をつかさどる執事のような役職にすぎなかったが、600年ごろより、国王の従士団の指揮権を掌握した結果、その地位を高め、宮廷職から国家行政の最高官職に変化した。国王以外の各分国王も自己の宮宰を置き、7世紀以降の王権の弱体化に伴い、ノイストリア、アウストラシア、ブルグントの宮宰が頭角を現した。とりわけアウストラシア分国の宮宰カロリング家のピピン(中)は、687年、ノイストリアを破り、ノイストリア、ブルグントの宮宰職をも兼ね、全王国の実権を握った。その子カール・マルテルは、トゥール・ポアチエの戦いでイスラム軍を撃退して、同家の権威を確立した結果、その子ピピン(小)の時代に、名目的なメロビング朝の国王を廃止し、王位につくことに成功した。

[平城照介]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「宮宰」の解説

宮宰(きゅうさい)
Majordomus

メロヴィング朝時代の国王宮廷家産役人の長。この官職は西ローマ帝国に発し,フランク王国以外の部族国家でも知られている。メロヴィング国家を構成するネウストリア,アウストラシア,ブルグントの3分王国にそれぞれ置かれたが,アウストラシアの台頭により,代々この職にあったピピン一門が7世紀後半から副王的な存在として君臨した。この一族から出たカール・マルテルカロリング朝の基礎をすえた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮宰」の意味・わかりやすい解説

宮宰
きゅうさい
majordomus; mayor of the palace

メロビング朝時代のフランク王国の最高の宮廷職。王側近の従士群の長。当時は王家だけでなく,諸侯も同様の職をおいていた。特にアウストラシア,ネウストリア,ブルグンドの有力3分国の宮宰の権力は強化された。なかでもアウストラシアの宮宰カルル・マルテルの力が最も強く,その子ピピン (小ピピン) はカロリング朝を開き,宮宰の職は消滅した。のち復活されたが文字どおりの宮廷職となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「宮宰」の解説

宮宰
きゅうさい
major domus

本来は王家の私的な家事の管理者を意味したが,のちにはフランク王国のメロヴィング朝に置かれていた最高の宮廷職をさした。「マヨル−ドムス」
ヨーロッパ中世初期には,王家の私事と王の公務とがはっきり区別されていなかったため,しだいに国政の面でも王の代表として,ときには摂政的な権力を持つようになった。メロヴィング朝の下でのカール=マルテルらが著名であり,その子ピピンは王家を倒し,自らカロリング朝を立てた。

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