改訂新版 世界大百科事典 「カンネーの戦」の意味・わかりやすい解説
カンネーの戦 (カンネーのたたかい)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…同年秋から冬にかけてはアプリアとカンパニアを荒らしたが,ローマの将軍ファビウスの遷延作戦のため,決戦に持ち込めなかった。前216年,南方に向きを転じたが,8月はじめのカンネーの戦でアエミリウス・パウルスとテレンティウス・ウァロの率いるローマ軍を徹底的に撃破した。その結果,アプリア,ルカニア,ブルティウムの町々やカプアがローマとの同盟から離脱したが,首都ローマには進軍しなかった。…
…大軍を率いたハンニバルは,スペインからイタリアに侵入し,半島の各地でローマ軍を撃破した(トレビア河畔,トラシメヌス湖畔の戦闘)。特に南イタリアのカンネーの戦では,ハンニバルはローマ軍を包囲・殲滅し,決定的優位に立った。しかしローマの同盟市はローマから離反せず,ハンニバルはマケドニアのフィリッポス5世およびシチリアのシラクサと結んだにもかかわらず,首都ローマを衝きえず,半島の南端に追いつめられて戦線も膠着した。…
※「カンネーの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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