カンブレー同盟(読み)かんぶれーどうめい(英語表記)Lega di Cambrai イタリア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カンブレー同盟」の意味・わかりやすい解説

カンブレー同盟
かんぶれーどうめい
Lega di Cambrai イタリア語

イタリア半島におけるベネチアの勢力拡大を阻止するため、教皇ユリウス2世提唱のもとに、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とフランス王ルイ12世が1508年10月に北フランスのカンブレーにおいて結成した同盟。提唱者であるユリウス2世は直接この同盟に参加せず、ベネチアに奪われた領土を回復するべく別個に交渉を行ったが失敗、1509年3月に正式に同盟に参加した。サボイア公、マントバ公、フェッラーラ侯、スペイン王(ナポリ王)なども同調したため、孤立したベネチアは征服した領土の返還を余儀なくされた。目的を達したユリウス2世は、フランスの勢力増大を牽制(けんせい)するために、一転してベネチアおよびスペインと神聖同盟を結成した(1511年10月)。こうしてカンブレー同盟は解体した。

[清水廣一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カンブレー同盟」の意味・わかりやすい解説

カンブレー同盟
カンブレーどうめい
League of Cambrai

イタリア戦争過程で 1508年,カンブレーにおいて結成された同盟。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世,フランス王ルイ 12世,ローマ教皇ユリウス2世,スペインのアラゴン王フェルナンド2世 (カトリック王) が参加。当時イタリア内陸の諸都市に着々と力を張っていたベネチアの覆滅をねらうものであったが,ベネチアの謀略は,フランス勢力の拡大を恐れるローマ教皇やアラゴン王を懐柔し,この同盟を粉砕した。

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