改訂新版 世界大百科事典 「ガッサーン朝」の意味・わかりやすい解説
ガッサーン朝 (ガッサーンちょう)
Ghassān
南アラブの大部族アズド族の支族ガッサーン族が,4世紀にシリアに移住してキリスト教徒となり,5世紀にジャービヤを首都とし,死海からダマスクスにわたる地域に建設した王朝。6世紀の初め以降,ビザンティン帝国から年金を受けつつ遊牧民の侵攻に対して国境防衛の任に当たった。その最盛期はハーリス・ブン・ジャバラal-Ḥārith b.Jabala(ギリシア名アレタスAretas,在位529-569)のときで,彼はユスティニアヌス2世の2度のペルシア遠征に従軍,554年にラフム朝の軍とキンナスリーン付近で戦って勝ち,パトリキウスとフィラルクの称号を授けられた。彼は単性論者ヤコブ・バラダイオスを保護し,シリアにおけるヤコブ派教会の確立に貢献した。613-614年にササン朝の攻撃を受けてガッサーン朝は急速に衰え,最後の王ジャバラ・ブン・アイハムは636年のヤルムークの戦でビザンティン側に立って敗れ,コンスタンティノープルに逃れ,ガッサーン朝は滅びた。
執筆者:嶋田 襄平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報