きんす川村(読み)きんすかーむら

日本歴史地名大系 「きんす川村」の解説

きんす川村
きんすかーむら

[現在地名]城辺友利ともり

現城辺町南部、友利とうむ村付近にあったとされるが、村の位置は特定されていない。砂川うるか間切に属した。両島絵図帳に「きんす川村」とあり、「此村当時無之」と記され、高五三八石余。五〇〇年前の仲宗根豊見親が主長として宮古を治めていた頃、城辺ぐすくなぎ(ぐすく方面の意)を任せられたのが金志川豊見親で、金志川城は長さ一七間・横一六間、門は東南東向であったというが(雍正旧記)、やはり場所は特定されていない。屋敷跡および洞泉・金志川泉は友利元島(旧集落)にある。伝承では金志川豊見親の生誕地は友利村より東にあって、現在は祀られていないが、金志川御嶽もある。あるいはその辺りが金志川村跡ともみられる。万暦二〇年(一五九二)下地大首里大屋子に恵伝が任じられているが、その子二人は金志川与人となっている(白川氏正統家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android