改訂新版 世界大百科事典 「ギヨームドシャンポー」の意味・わかりやすい解説
ギヨーム・ド・シャンポー
Guillaume de Champeaux
生没年:1070ころ-1121
初期スコラの神学者。ランのアンセルムスとロスケリヌスに学び,1095年以後ノートル・ダム聖堂付属学校で教えた。彼の名は中世の普遍論争史に記録されるが,それは12世紀初期の極端な実念論を代表したため,弟子のアベラールによって徹底的に攻撃されたことである。すなわち,最初は同じ種に属する個物はみな実体的に同一であるとの説をとっていたが,それはつきつめれば汎神論になるのではないかとの批判を受けて,同一とは本質のことではなく差別がないという意味だとこたえ,いわゆる無差別説を主張した。ギヨームは論争に敗れてサン・ビクトール修道院に退き,のちにルイ6世によって建てられたサン・ビクトール学院の基礎づくりに励んだ(サン・ビクトール学派)。著書に《典礼論》《キリスト教徒とユダヤ教徒の対話》《問題集》など。
執筆者:泉 治典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報