初期スコラの神学者。北イタリアのアオスタに生まれ,長じてノルマンディーのベック修道院(ベネディクト会,クリュニー系)に入った。ここでランフランクスに学び,のちにその院長となる。1093年にカンタベリーの大司教に任ぜられ,死ぬまでその職にあった。ベックでの長い思索は,〈知らんがために信ず〉の原則に従って信仰と理性の動的連関を追求するものであった。アンセルムスは信仰を超自然的・非理性的に固定すること,また逆に自然的理性の中にとじ込めることのいずれをも退けて,神学固有の認識方法を立てたのであるが,その対象把握の深さと論証の厳密さとは比類なきもので,時代を超えて神学の模範となった。最初の著作《モノロギオン》はアウグスティヌスの《三位一体論》にならいつつも,独自の仕方で最高存在が三位一体をなすことを論証し,次の《プロスロギオン》では逆に三位一体からして神の存在が概念的にも必然であることを論証する。そしてこの循環の中で,最高存在はギリシア的な永遠不動の神ではなく,三位一体として働く活動的な存在であることが明らかにされた。以上の2著は暝想形式のもので,不信仰の侵入をきびしく排しているが,以後の著作は対話形式を用い,信仰も不信仰もともに含む共同の場で,自由・罪・救いという神と人間の関係を論じている。カンタベリーに移るころからは論争書も多く書いた。《神はなぜ人となったか(クール・デウス・ホモ)》は神学史上不朽の書である。これはロスケリヌスの三神論を退け,かつ当時思想的にも動き出していたユダヤ人の神観を打破する目的で書かれている。そこでは,贖罪は神の栄光のためにほかならぬこと,人間は罪のゆえに神に返すべきものを返しえなくなったために,神みずからキリストによってこれをなしとげたことを論じ,神の子の受肉の必然を明らかにする。ここに初めて受肉と贖罪,恩恵と自由の一致というキリスト教神学の根本命題がうち立てられたと言ってよい。カンタベリーでは叙任権闘争の中にまき込まれ,ウィリアム2世とその弟ヘンリー1世,および教皇ウルバヌス2世とパスカリス2世の間に立ち,国王からは教会領没収や国外追放の目にあったが,やがて和解へとこぎつけ,イングランドにおける政教協約の基をおいた。
執筆者:泉 治典
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初期スコラの神学者。北イタリアのアオスタに生まれる。1060年にノルマンディーに出て、ベネディクト会クリュニー系のベック修道院に入り、当時の碩学(せきがく)ランフランクLanfranc(1005ころ―1089)の下で神学研究に励む。この師がカーンに移ったあと、副院長となり、ついで院長となる。1093年カンタベリー大司教に推された。このとき、イギリスのウィリアム2世とその後継ヘンリー1世とを相手に叙任権闘争を行い、二度の追放にあったが、やがて和解がなり、イギリスにおける政教条約の基礎を置いた。アンセルムスは、アウグスティヌスの神学を摂取し深化しただけでなく、新しい方法によって神学独自の課題と思考を明らかにし、当時の思想界に活気を与えた。その方法は、不信仰者には信仰の合理性を示し、信仰者には信仰の理解を求めるという二重の機能をもつものであった。すなわち「知らんがために信ず」の命題は、信仰に関することがらを、直接聖書に依拠して証明するのではなく、むしろ理性による論証の道をたて、その極限で理性の転換を明らかにする方法として自覚された。アンセルムスはこれによって神の存在、三位(さんみ)一体、キリストの受肉と贖罪(しょくざい)を解明し、さらに自由の問題に深く入って、神と人間の関係秩序を明らかにした。その鋭い論理と深い内容理解は、スコラ学の範となっただけでなく、今日まで多くの議論をおこし続けている。主著『モノロギオン』『プロスロギオン』『なぜ神は人となったか』。
[泉 治典 2015年1月20日]
『古田暁訳『アンセルムス全集』全1巻(1980・聖文舎)』
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…神の存在証明のなかには,われわれの倫理的経験をふりかえって,それが神の存在を実践的に要請することを示す倫理的証明と,経験的事物の存在から出発して,それとは根元的に区別される高次の実在――ふつう〈神〉の名で理解されているもの――に到達する形而上学的証明があり,哲学的関心の対象になるのはふつう後者である。このほかアンセルムスにさかのぼるア・プリオリ,もしくは〈本体論的〉と称せられる証明,すなわちわれわれが神について抱いている観念から直ちに神が必然的に存在することを結論しうる,という議論があり,こんにちでもその意味や妥当性をめぐって論争がある。経験から出発するア・ポステリオリ証明のうちで最も有名なのはトマス・アクイナスの〈五つの道〉であり,これは経験世界においてあきらかに認められる運動・変化,作動因の系列,存在の偶然・非必然性,完全性の段階,目的志向性などの事実から出発して,第一の動者,第一作動因,必然的存在,最高の存在,宇宙を統宰する知的存在であるところの神に到達する議論である。…
…この神学の萌芽はオリゲネスとアウグスティヌスにあり,後者の《三位一体論》と《神の国》はあらゆる点で中世神学の基となった。11世紀のアンセルムスは《なぜ神は人となったか》において,従来明らかでなかった受肉と贖罪の連関を示した。彼の神学が自由の確立と意志の救いに向かっていたことは,教会と信仰の精神基盤がどこにあるかをよく示している。…
…ザンクト・ガレンは11世紀初めに寺伝の有能な編者エッケハルト4世Ekkehart IV(980ころ‐1060ころ)をもった。つづいて冷厳な雄弁僧ペトルス・ダミアニ(《歌の中の歌》その他の作者)や,カンタベリー大司教であったランフランクLanfranc(1005ころ‐89),アンセルムスの両権威,なかんずくパリ大学に多くの聴講者を集めたアベラールとその論敵で当時教界の重鎮であったクレルボーのベルナールらが次代を代表する。ことにアベラールとその愛人エロイーズの悲痛な恋愛の物語は人々にあまねく知られ,2人が交換した多くの書簡,とりわけ第1の《わが不幸の物語》は,中世宗教文学に異彩を放っている。…
…すでにアウグスティヌスは,キリストを預定された人々の頭(かしら)として,そこに救いの業の確かさを見た。アンセルムスは贖罪をキリスト受肉に結びつけ,贖罪は〈神人〉としてのキリストにおける神と人間の意志の一致によって起こるもので,それは単に神による悪魔の征服ではないと論じた。しかしカトリック教会は通常人間の自由意志の功績を認める功徳説や協働説をとるので,こうした考えを受け入れず,これを一面的な〈完償説theory of satisfaction〉としてかえって退けた。…
…ここにギリシア的な主知主義に代わるキリスト教的な主意主義が成立した。アンセルムスはこれを厳密に論じ,自由意志とは〈自由な選択〉ではなくて〈自由を選ぶこと〉であり,自由それ自体は人間の選択意志によって左右されない本質をもつとした。このように自由を選択意志に先行させることは意志の働きを弱めるものではない。…
…それゆえ神学は啓示認識,信仰認識といわれる。アウグスティヌス=アンセルムス的な定式〈理解を求める信仰fides quaerens intellectum〉はそれを表現している。また神と人間との関係として生起する啓示は,人間となった神,仲保者イエス・キリストによって現実化し,信仰はなによりもこのイエス・キリストに対する信仰であるから,神学の現実的出発点はイエス・キリストにある。…
…狭い意味でのスコラ学は,カトリック教会の教義を信仰をもって受けいれたうえで,それを主としてプラトンおよびアリストテレス哲学の助けをかりて理解しようとする学問的努力を指す。この意味でのスコラ学の根本性格は,アンセルムスの〈知(理解)を探求する信仰fides quaerens intellectum〉という言葉によって表現されている。それは信仰と理性との統一・総合をめざす学問的企てであり,その成功と挫折の跡がスコラ学の歴史にほかならない。…
※「アンセルムス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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