ギリシア抵抗運動(読み)ギリシアていこううんどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギリシア抵抗運動」の意味・わかりやすい解説

ギリシア抵抗運動
ギリシアていこううんどう

第2次世界大戦中のギリシア人民による,イタリア,ドイツ軍への抵抗運動。イタリアは 1940年10月アルバニアからギリシアを侵略したが,ギリシア軍が反撃,11月には逆にギリシア軍がアルバニア領を占領した。ドイツ軍は 1941年4月ユーゴスラビア,ギリシアを侵略。ギリシアの国王と政府は同 1941年4月末エジプトに亡命した。国内では同年 9月,共産党を中心に農民党,人民民主同盟,急進共和党,社会党などが民族解放戦線 EAMを組織し,1942年12月ギリシア人民解放軍 ELASを結成した(→ギリシア民族解放戦線・人民解放軍 EAM-ELAS)。保守派もギリシア民主民族連盟 EDESを結成,また社会民主主義系知識人も民族社会解放運動 EKKAを組織し,それぞれドイツ軍に対する抵抗運動を展開した。やがて抵抗運動は EAM-ELASが主導権を握り,1944年3月には臨時政府である民族解放政治委員会 PEEAを樹立,亡命政府とも協定を結び同年 11月ギリシア全土からドイツ軍を撃退した。ドイツ軍の撤退後,イギリス軍の介入,新政府の構成などで紛糾し,やがてギリシア内乱に発展した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギリシア抵抗運動」の意味・わかりやすい解説

ギリシア抵抗運動
ぎりしあていこううんどう

第二次世界大戦中にギリシアで行われた、枢軸占領軍(ドイツ、イタリア、ブルガリア)に対する抵抗闘争。1941年4月、枢軸軍はギリシアに侵入、月末には国王ゲオルギオス2世Georgios Ⅱ(1890―1947、在位1922~1924、1935~1947)と政府はクレタ島を経て中東へ亡命した。同年9月に中部地方で共産党を中心とする民族解放戦線(EAM)が結成され、1942年4月にはその軍事組織のギリシア人民解放軍(ELAS)が闘争を開始した。また同年6月に西部地方でギリシア民主国民連盟(EDES)がゲリラ活動を始めた。イギリス軍の仲介の努力にもかかわらず、1943年にはELASとEDESとの間に内戦が発生した。1944年10月にドイツ軍がギリシアからの撤収を開始、中東で結成されたギリシア連合政権がイギリス軍とともにアテネに復帰したときには、14万人を超えるELASがほとんど全土を支配していた。イギリス軍司令部はELASの解散を要求、激戦ののち、1945年2月12日のバルキーザ協定により、国体問題に関する国民投票と立憲議会選挙とを条件に、ELASの解体を実現させた。

木戸 蓊]

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