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文天祥 ぶんてんしょうWen Tian-xiang; Wên T`ien-hsiang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

文天祥
ぶんてんしょう
Wen Tian-xiang; Wên T`ien-hsiang

[生]端平3(1236)
[没]至元19(1282)
中国,南宋末の宰相。吉水 (江西省) の人。字は宋瑞,履善。号は文山。宝祐3 (1255) 年進士及第。当時増大しつつあった元の圧力に対して終始強硬策を唱え,そのために免官されたが,その後復職。兵を率いて抗戦に努めたが敗れ,講和のために元軍に派遣された際,逆らったため拘留され,その間に宋は滅亡。のち脱走して度宗の長子益王を助け,宋朝回復に努めたが,敗残の身となって再び捕えられ,3年間入獄,元に下ることを拒否してついに刑死した。詩人としてもすぐれ,特に獄中での『正気の歌』は有名。『文山全集』 (20巻) がある。

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デジタル大辞泉の解説

ぶん‐てんしょう〔‐テンシヤウ〕【文天祥】

[1236~1282]中国、南宋末の政治家吉水江西省)の人。字(あざな)は宋瑞・履善。号、文山。元軍侵入に際して講和の使者となるが、失敗して捕らえられ、その間に宋は滅亡。のち脱走して抗戦したが、再び捕らえられて刑死。獄中の作に「正気(せいき)歌」がある。

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百科事典マイペディアの解説

文天祥【ぶんてんしょう】

中国,南宋末期の忠臣科挙には首席で合格。元軍の侵入にあたり,1275年勤王の軍を起こし,宋室が降伏した後も抗戦を続けた。やがて捕らえられ,元朝への仕官をすすめられたが,あくまでも受けず,在獄3年にして処刑された。
→関連項目松浦鎮信

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世界大百科事典 第2版の解説

ぶんてんしょう【文天祥 Wén Tiān xiáng】

1230‐82
中国,南宋末の宰相,忠臣。字は宋瑞または履善。号は文山。吉州吉水(江西省)の出身。進士の首席。地方官時代,モンゴル軍進入に浮足立った朝廷の遷都論に反対したり,権力者賈似道(かじどう)にたてついたりして気骨を示す。1275年(徳祐1),元軍の侵攻が本格化すると,任地の江西南端贛州(かんしゆう)から土豪,少数民族などの混成義勇軍を率いて国都臨安にかけつけた。76年正月,元の攻勢で無人化した中央政府の宰相に抜擢され,敵の総司令官バヤン(伯顔)と和平交渉にあたったが抗論して譲らず捕らえられた。

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大辞林 第三版の解説

ぶんてんしょう【文天祥】

1236~1282) 中国、南宋末の忠臣。号は文山。元軍の南下に際し、1275年義勇兵を率いて抗戦、南宋滅亡後もその復興を図ったが、捕らえられ大都(北京)で刑死。獄中の作「正気の歌」は有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

文天祥
ぶんてんしょう
(1236―1282)

中国、南宋(なんそう)末の政治家。吉水(きっすい)(江西省吉水県)の人。20歳で進士に第一位で及第。1259年モンゴル軍が四川(しせん)に侵入し、遷都説が強まると、一地方官にすぎなかった彼は強くこれに反対し、官を追われた。のち復職したが賈似道(かじどう)と対立して辞職。76年元(げん)軍が首都臨安に迫ると、義勇軍1万人を率いて奮戦したがかなわず、宋は元に降服した。講和のため元の丞相(じょうしょう)バヤンと会見、口論して拘留されたが脱走、福州で益王を奉じ、宋の残兵を集めて転戦した。ふたたび元に捕らえられ、毒を仰いだが果たせず、大都(北京(ペキン))に送られた。元への仕官を切望されたが拒否し、獄中にあること3年、「正気の歌」を残して刑死した。[柳田節子]
『梅原郁著『文天祥』(1967・人物往来社)』

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世界大百科事典内の文天祥の言及

【王応麟】より

…時の官吏が一旦進士となると,学問をすてて顧みないのを嘆き,みずから発奮して学に励み,宝祐4年(1256)の博学宏詞科に及第した。科挙で文天祥の答案を認めて首席としたことは有名。官は秘書郎より礼部尚書兼給事中に至ったが,その間しばしば天子を諫め,また国家の大事のために献策した。…

【正気歌】より

…中国,南宋滅亡の後,元(モンゴル)の捕虜となった文天祥が1281年北京の獄中で作った抵抗の詩。中国文学史上屈指の傑作で,悲劇的なその生涯とあいまって,後世に大きな感銘を与えた。…

【宋詩】より

…江湖派の詩人は,南宋が滅ぶと,モンゴルへの抵抗の意味もこめて,遺民と呼ばれる隠逸詩人に移行する。抵抗の英雄である文天祥の悲壮な詩は,宋詩の末路を飾るものであった。 宋詩は中国においても日本においても,古文辞派によって堕落した弱々しい詩として否定されたが,清朝に入って見直され,清朝後期の江西派は黄庭堅を祖述した。…

※「文天祥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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