百科事典マイペディア 「薪荘」の意味・わかりやすい解説
薪荘【たきぎのしょう】
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山城国綴喜(つづき)郡にあった石清水八幡宮領の荘園。薪薗(たきぎのその)とも呼ばれた。保元3年(1158)12月3日の官宣旨に宮寺領として現れるのが史料上の初見であるが,後の史料によると薪薗は10世紀に石清水八幡宮に寄進されたという。1235年(嘉禎1)当荘の西北にある興福寺領大住(おおすみ)荘との間で用水相論が起こり,興福寺による薪荘在家(ざいけ)60宇の焼打ち,石清水八幡宮神人(じにん)2人の殺害の結果,両荘の相論は石清水八幡宮と興福寺の両権門(けんもん)間の相論に拡大した。両者ともに神輿・神木をおし立てて朝廷に強訴(ごうそ)する大相論に発展したこの事件は,翌年,鎌倉幕府がついに大和国に守護・地頭を設置しようとしたことにより,いったんは鎮静化する。しかしその後も両荘の堺相論は続き,81年(弘安4)の院宣によって当荘と大住荘は〈関東一円之地〉とされた。その後の歴史は詳しくはわからないが,南北朝期にはすでに石清水八幡宮領に還付されている。
執筆者:稲葉 伸道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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