陸秀夫(読み)リクシュウフ

デジタル大辞泉 「陸秀夫」の意味・読み・例文・類語

りく‐しゅうふ〔‐シウフ〕【陸秀夫】

[1236~1279]中国南宋末の忠臣あざな君実塩城江蘇省)の人。の恭宗がに下ったあと、張世傑らと子の益王(瑞宗)を擁して戦い、その没後は衛王を奉じて崖山広東省)に移ったが敗れて衛王とともに入水じゅすいした。

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精選版 日本国語大辞典 「陸秀夫」の意味・読み・例文・類語

りく‐しゅうふ‥シウフ【陸秀夫】

  1. 中国南宋末の忠臣。字は君実。塩城(江蘇省)の人。蒙古軍の侵入下、一二七七年に端宗を擁して挙兵翌年、帝の死により衛王を奉じて広東の崖山に移り、七九年に崖山が陥ると、衛王を背負って入水。(一二三六‐七九

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「陸秀夫」の意味・わかりやすい解説

陸秀夫
りくしゅうふ
Lu Xiu-fu; Lu Hsiu-fu

[生]端平3(1236)
[没]祥興2(1279).2.6.
中国,南宋末の宰相。楚州塩城 (江蘇省) の人。字は君実。景定1 (1260) 年の進士。徳祐1 (75) 年宋軍が元軍のため敗れ,多くの属僚が逃亡したが,彼はとどまって司農寺丞に任じられ,さらに宗正少卿兼権起居舎人となった。翌年礼部侍郎となり,元軍に使して和を結ぼうとしたが成功しなかった。度宗の2王子の趙いくと趙へいに従い,趙いく (端宗) を福州に擁立した。祥興1 (78) 年端宗が死ぬと,趙へいを立て,右丞相として政をとった。しかし翌2年崖山で元軍の攻撃を受け,脱出不可能を知り,趙へいとともに海中に投じて死んだ。

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世界大百科事典(旧版)内の陸秀夫の言及

【崖山の戦】より

…元の侵攻で,1276年(景炎1)国都臨安を明け渡した宋王朝の一部は,張世傑や文天祥らに支持され,福建,広東と逃げまわって再起をはかった。78年(祥興1)8歳の衛王趙(ちようへい)を擁立した張世傑らは崖山で元将張弘範の大軍を迎え撃ったが敗れ,陸秀夫(1236‐79)が,平家壇ノ浦の戦そのままに趙を背負って海中にとびこみ,300年の宋王朝は幕を閉じた。【梅原 郁】。…

※「陸秀夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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