太宗(読み)タイソウ

世界大百科事典 第2版の解説

たいそう【太宗 Tài zōng】

598‐649
中国,朝の第2代皇帝。李世民。諡号(しごう)は文皇帝。在位626‐649年。初代皇帝李淵高祖)の第2子。母は竇(とう)氏。隋末動乱のさなか太原方面の防衛を命ぜられた父に従って同地におもむき,李淵の側近,部下らとともに父をうながして挙兵に踏み切らせた。李世民は兄の李建成とそれぞれ1軍を率い,汾水をさかのぼって長安を占領した。李淵の唐朝建設はこの2子の軍事的な働きに負うところが大きいが,とくに李世民の功業は絶大である。

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大辞林 第三版の解説

たいそう【太宗】

中国などで、太祖に次いで功績があった帝王の廟号びようごう。唐の李世民、元のオゴタイ汗、清の皇太極ホンタイジなどに贈られた。第二代皇帝の場合が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

太宗
たいそう
(939―997)

中国、宋(そう)の第2代皇帝(在位976~997)。初名は趙匡義(ちょうきょうぎ)、のち太祖の諱(いみな)匡胤(きょういん)を避けて光義となり、即位すると(けい)に改めた。趙弘殷(こういん)の第3子。太祖の実弟であるが、976年太祖の急死を受けて即位したので、後世、この継承問題はさまざまな疑惑をよんだ。太祖の統一事業を受け継ぎ、呉越(ごえつ)を併合し北漢(ほくかん)を征服してほぼ統一を完成、余勢を駆って、いわゆる燕雲(えんうん)十六州の奪回を試みたが敗北した。内政では、科挙制度を拡充して大量の知識人を官僚に登用して文治主義を徹底し、また、太祖のときには認められていた辺境の節度使に与えた特権も取り上げて、中央集権化をさらに進めた。『太平御覧』などの大部な書物の編纂(へんさん)事業を始めたことも、太祖時代とは異なる政策である。[竺沙雅章]
『竺沙雅章著『宋の太祖と太宗』(1975・清水書院)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

たい‐そう【太宗】

[1] 〘名〙 中国の王朝で、太祖についで業績や徳行があった皇帝に奉られる廟号。
※随筆・折たく柴の記(1716頃)下「其後又大明の太宗即位ののち、永楽の号を用ひられしに」 〔史記‐太史公自序〕
[2]
[一] (中国、唐朝第二代目の皇帝)⇒りせいみん(李世民)
[二] 中国、北宋第二代皇帝(在位九七六‐九九七)。姓名趙炅(ちょうけい)。太祖趙匡胤の弟。呉越、北漢を滅ぼし、中国を統一した。節度使、刺史の実権を奪い、財政の中央集権化を実現。科挙の制をひろげ有能な官人を集め、文治主義による中央集権制を確立した。(九三九‐九九七
[三] (モンゴル第二代の皇帝) ⇒オゴタイ
[四] 中国、清朝第二代皇帝(在位一六二六‐四三)。諱(いみな)は皇太極(ホンタイジ)。太祖ヌルハチの子。一六三六年、国号を大清とした。朝鮮を攻略し、明の辺境を襲ったが、中国進出は果たせなかった。(一五九二‐一六四三

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