日本大百科全書(ニッポニカ) 「コリャド」の意味・わかりやすい解説
コリャド
こりゃど
Diego Collado
(?―1641)
スペイン人のドミニコ会宣教師。1604年サラマンカで入会。キリスト教迫害下の1619年(元和5)来日、代理管区長として長崎付近で活動した。1621年教皇庁の命で、日本二十六殉教者の列福調査にあたり、翌1622年離日し、1623年マニラを経てローマに到着、調査報告書を教皇庁に提出した。翌1624年、日本におけるイエズス会の布教方法を非難したいわゆる「ソテロ陳状」を提出、大論議を巻き起こした。これはいちおう偽作ということで落着したが、1628年スペインで同趣旨の書物を無断で出版し、上長の叱責(しっせき)を受けた。1632年に『日本語文典』『羅西日辞典』『懺悔録(ざんげろく)』を出版。1635年ふたたびマニラに渡り、日本への再入国を期したが果たさず、1641年マニラ沖で遭難死した。
[黒沢文貴 2018年2月16日]