コリントス戦争(読み)コリントスせんそう

改訂新版 世界大百科事典 「コリントス戦争」の意味・わかりやすい解説

コリントス戦争 (コリントスせんそう)

前395-前386年に,テーバイアルゴスコリントスアテナイと,スパルタを中心とするペロポネソス諸国とが,ペルシア介在を通して行った一連の戦争。ペロポネソス戦争に勝利したスパルタは,小アジア諸ポリスの反ペルシア闘争を支援し,ペルシア勢力圏に介入したため,ペルシアはギリシア本土に働きかけて反スパルタ運動を起こさせ,スパルタの矛先を転じようとした。これに応えて,前395年テーバイはアテナイの支援を受け,ハリアルトスの会戦でスパルタのリュサンドロス軍を打倒。これを機に前記4国の同盟を結成しスパルタにあたった。スパルタは翌年ネメアの会戦で勝利したものの,陸上での戦局は以後コリントス近辺で一進一退を続け,海上では前394年アテナイのコノンKonōnがクニドス沖の海戦でペロポネソス艦隊を破り,エーゲ海の制海権を掌握,アテナイは昔日の勢いを取り戻した。戦争はこのアテナイの動きに脅威を感じたペルシアの外交政策転換によって,アンタルキダス条約で終結したが,ペルシアの小アジア支配は認められた。
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百科事典マイペディア 「コリントス戦争」の意味・わかりやすい解説

コリントス戦争【コリントスせんそう】

前395年―前386年コリントスアテナイテーバイ,アルゴスなど中部ギリシアの諸都市国家が同盟を結んでスパルタと戦った戦争。同盟軍は各所で勝利し,スパルタはペルシアの仲介を得て平和条約アンタルキダス条約)を結んだが,海上権はアテナイに奪回された。

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世界大百科事典(旧版)内のコリントス戦争の言及

【コリントス】より

…しかし戦後のアテナイの急速な興隆とその西方への介入はコリントスの脅威となり,ケルキュラとポテイダイアをめぐるアテナイとの争いは,前431年に勃発したペロポネソス戦争の直接的原因となった。ペロポネソス戦争後は,ギリシアの覇権を握ったスパルタに対抗するために一転してアテナイ,テーバイ,アルゴスと結託,これがコリントス戦争の因となる。戦闘がおもにコリントス周辺で行われたため,その損害は大きく,戦争継続をめぐり内訌を生じ,一時アルゴスの支援下で流血による民主政体が樹立された。…

【スパルタ】より

…対外的にもスパルタの覇権は脅かされた。ペルシアと戦うにいたり,前395年にはペルシアの指嗾(しそう)で結ばれたアテナイ,テーバイ,コリントス,アルゴスの同盟を相手にコリントス戦争が始まった。スパルタはアンタルキダス条約でペルシアに譲歩してギリシアにおける勢力維持に成功した。…

※「コリントス戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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