ギリシア南部,ペロポネソス半島の基部にある町で,コリンティア県の県都。人口3万6555(2001)。コリントCorinthともいう。野菜,果物類,オリーブ油,ブドウ酒,干しブドウ,絹織物などを産する。コリントス湾にはレカイオン港を擁してイオニア海,シチリア方面と連絡し,サロニカ湾にはケンキレアイ港を配してエーゲ海方面に連なる東西海上交通の要衝であったため,古くから商業都市として栄えた。また背後に天然の要害アクロ・コリントスを有していたので,戦略地点としても重要視されてきた。なお,コリントス,サロニカ両湾を結ぶ運河の開削は古代から試みられてきたが,1881-93年に全長6.4kmのコリントス運河が建設された。
ホメロスの《イーリアス》ではエフュラ(監視塔の意)とも呼ばれたが,その名称が指すと思われるアクロ・コリントスには,前5千年紀(新石器時代)から人が住んだ痕跡が見られ,周辺一帯からミュケナイ時代の陶器が発掘されている。伝承では,この地はドリス人が侵入,征服したときにアルゴスの征服者テメノスの手に落ちたが,先住のアイオリス人やイオニア人も多く残ったという。こののちアレテスと彼の子孫が12代にわたって王権を保持(前1074-前747)し,バッキアダイと呼ばれた。アウトメネスが1年間支配したあと王政を廃棄し,およそ200人を数えたバッキアダイ一族が自ら1年交替のプリュタニス(長官)を選出して寡頭政を敷いた(前747-前657)。この時代にケルキュラ(コルフ),シラクサへの植民がなされ(前734),またギリシア最初の三段櫂船が建造され(前704)て,前664年には娘市ケルキュラとの海戦が行われた。前657年バッキアダイ貴族門閥支配は僭主キュプセロスによって打倒された。僭主政は彼と彼の子ペリアンドロス,その甥プサンメティコスへと受け継がれ,およそ80年続いた(前657-前580)。このころのコリントスはギリシアの中でも隆盛を極め,西方ギリシアへの植民活動は拡大され,陶器,青銅製品は地中海各地へ輸出された。
スパルタの支援で倒された僭主政のあとは,穏健な寡頭政体制をとり,ペロポネソス同盟に加入,前6世紀中ごろから前5世紀前半までは他のギリシア諸国,とりわけアテナイとは友好的な関係を保ち,商工業も繁栄を続けた。ペルシア戦争では大部隊を派遣して各戦いに参加する。しかし戦後のアテナイの急速な興隆とその西方への介入はコリントスの脅威となり,ケルキュラとポテイダイアをめぐるアテナイとの争いは,前431年に勃発したペロポネソス戦争の直接的原因となった。ペロポネソス戦争後は,ギリシアの覇権を握ったスパルタに対抗するために一転してアテナイ,テーバイ,アルゴスと結託,これがコリントス戦争の因となる。戦闘がおもにコリントス周辺で行われたため,その損害は大きく,戦争継続をめぐり内訌を生じ,一時アルゴスの支援下で流血による民主政体が樹立された。しかし戦後は再び寡頭政に戻った。カイロネイアの戦(前338)後,マケドニアのフィリッポス2世はこの地を新しいヘラス同盟(コリントス同盟)の中心地と定め,ペルシア征討の宣言を下した。ヘレニズム時代には商工業も繁栄を取り戻し,市は〈ヘラスの星〉と呼ばれたが,重要な戦略要塞都市でもあったので,しばしば支配者が交替した。前247年アラトスの急襲を受けてアカイア同盟に加入。前223年再びマケドニアの支配下に入ったが,ローマとマケドニアの戦争で勝者ローマから自由都市を宣せられ(前196),アカイア同盟に復帰。その後アカイア同盟の反ローマ拠点となったが,前146年L.ムンミウスによって占領,徹底的に破壊された。
約100年間廃墟のままであったが,前44年カエサルが植民団を派遣して新しく建設し直された。後50年代初頭パウロがこの地を訪問,キリスト教を布教した。歴代のローマ皇帝もコリントスの町を保護,育成したので,2世紀末にはアカイア州を代表する都市となった。しかし267年ヘルリ人の侵入,357年の地震,395年のアラリックの却掠と続けて災禍を受け,加えて521年の大地震ではなはだしい破壊を被った。11世紀に最後の繁栄期が訪れたが,1147年ノルマン人の略奪,1210年十字軍の占拠にあい,1358年にはフィレンツェ侯国の手中に帰した。95年ビザンティン帝国の支配下に入り,1458年以降はベネチア人による支配の一時期を除き,ギリシア独立戦争時(1822)までトルコ人の手にあった。1858年の大地震による破壊の後,北東約7kmの地に新しい現在のコリントスの町が建設されて今日に至っている。
執筆者:古川 堅治
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