ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンスタンチヌス2世」の意味・わかりやすい解説
コンスタンチヌス2世
コンスタンチヌスにせい
Constantinus II
[没]?. ローマ?
8世紀の対立教皇(在位 767~768)。元兵士。教皇パウルス1世(在位 757~767)の死後,兄であるネピ司教区のトート公に擁立され,767年7月に教皇に選出された。公証人グループの強力な指導者,クリストフォルスが率いた反コンスタンチヌス2世勢力は,ランゴバルド王国(→ランゴバルド族)へ逃亡した。しかしコンスタンチヌス2世はフランク王ピピン(在位 751~768)から支持を得られず,768年にランゴバルド軍により廃位された。修道院に幽閉され,暴行を受けて失明した。のちにイタリアとフランスの司教会議で廃位が承認された。
コンスタンチヌス2世
コンスタンチヌスにせい
Constantinus II; Flavius Claudius Constantinus
[没]340. アキレイア
ローマ皇帝 (在位 337~340) 。コンスタンチヌス1世 (大帝)の次男。生後すぐ副帝となる。西方帝としてガリア,ブリタニア,ヒスパニアを支配。弟のコンスタンスを攻めイタリアに侵入したがアキレイアで敗死した。
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