日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランゴバルド王国」の意味・わかりやすい解説
ランゴバルド王国
らんごばるどおうこく
古ゲルマン民族の一派であるランゴバルドLangobard人がイタリアに侵入して建てた王国。ロンバルディア王国ともいう。ランゴバルド人の原住地はエルベ川下流域であるが、2世紀中ごろにはドナウ川方面、5世紀後半には下オーストリア、6世紀中ごろにはノリクム、パンノニア地方に移り、さらに東方からアバール人の攻撃を受けたのを契機に、568年、アルボイン王に率いられてイタリアに侵入、パビーアを首都として、ポー川流域のロンバルディア地方に部族王国を建てた。
その後南方に勢力を広げ、トスカナから、さらに南イタリアのスポレト、ベネベント地方にまで及んだが、各地に豪族を配置したため、独立性の強い諸公国が形成され、アルボインの後継者クレフ王が殺害されたのちは、35人の大公に支配される諸公国が併存するような事態となった。フランク王国の脅威が強まるにつれ、584年、アウタリ王のもとで王制が復活し、諸侯権力の抑圧、王権の強化が図られたが、大諸侯の力は依然強く、8世紀前半、リウトプランド王がスポレト、ベネベント両公国を破った結果、ようやく王権が伸張した。
その後アイストゥルフ王はさらにビザンティン領ラベンナを併合、ついでローマを脅かしたが、これがローマ教皇の救援要請にこたえたフランク国王ピピン(小)の干渉を招き、さらにデシデリウス王と教皇との確執を口実に、フランク国王カール(後の大帝)もイタリアに侵入した。774年デシデリウスは捕らえられて、ランゴバルド王国はフランク王国に併合され、滅亡した。
[平城照介]