クリストフォルス(読み)くりすとふぉるす(英語表記)Christophorus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クリストフォルス」の意味・わかりやすい解説

クリストフォルス
くりすとふぉるす
Christophorus

半伝説的殉教聖者。祝日は7月25日。伝説によれば、3世紀ごろカナン出身のオフェロとよばれる力の強い人がいた。この世の強い者にあこがれ、王者や悪魔にも仕えて放浪するが、最後にキリストに仕える苦行者を知り、川の渡守(わたしもり)となる。ある夜幼児キリストを背に負って対岸に渡し、以後「キリストを背負う者」(クリストフォルス)とよばれるようになった。その後、布教に努め、サモスで殉教を遂げた。死の直前に「わたしを見つめる者、神に信頼を置く者に、すべての災いとおそれを除こう」と誓いをたてた。ヨーロッパでは不安・苦悩を防ぐ救難聖者として崇拝され、旅、巡礼、運輸にかかわる守護聖者でもあり、教会や橋などの彫刻や絵画に多数造型されている。ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』や芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の『きりしとほろ上人(しょうにん)伝』の原型の一つ。

[植田重雄 2017年11月17日]

『池田敏雄著『教会の聖人たち 下巻』増補改訂版(1981・中央出版社)』『植田重雄「守護聖者の特質と民間習俗化の問題」(『早稲田大学大学院紀要』26集所収・1981)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クリストフォルス」の意味・わかりやすい解説

クリストフォルス
Christophorus

[生]?. ローマ
[没]904
教皇レオ5世在位 903.8.~9.)の対立教皇(在位 903~904)。"Liber Pontificalis"や "Pontificum Romanorum"など,多くの教皇リストに名前が記載されているが,今日では対立教皇とされる。一時は枢機卿(→カーディナル)であった。903年にレオ5世を教皇位から追い落としたが,904年1月,司教セルギウス(のちの教皇セルギウス3世)の支持者らにより廃位された。記録が現存する唯一の業績は,コルビー修道院の承認である。著述家エウゲニウス・ブルガリウスによれば,クリストフォルスは獄中で絞殺されたとされるが,ヘルマンの年代記では,教皇位を追われ修道士としてその生涯を終えたと記されている。

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