日本大百科全書(ニッポニカ) 「サイド・ムハンマドの乱」の意味・わかりやすい解説
サイド・ムハンマドの乱
さいどむはんまどのらん
19世紀末から20世紀初めにかけて起こった、ソマリアの解放を目ざす反植民地運動。指導者のサイド・ムハンマドSayyid Muhammadがムッラー(イスラム教の教師)であったことから、マッド・ムッラー運動ともいう。19世紀末、アフリカの角(つの)とよばれるソマリランドは、イギリス、フランス、イタリアのヨーロッパ列強とエチオピアの4か国によって分割統治されていた。1864年ソマリア北部に生まれたサイドは、イスラム教の教義を学びメッカに巡礼、禁欲主義的なサリヒーヤ派に加わりイスラム教改革運動に乗り出した。1899年イギリス軍とそれにくみした既成のイスラム教派にジハード(聖戦)を布告、さらにオガデン地域を占領したエチオピアのメネリク2世を攻撃した。戦いは20年にわたったが、戦力に優れたイギリス軍も、植民地主義を糾弾するサイドの前に決定的打撃を与えるには至らなかった。1920年サイドの死とともに反乱は終結したが、その後のソマリア民族主義運動に大きな影響を与えた。
[青木澄夫]