ソマリランド(読み)そまりらんど(英語表記)Somaliland

翻訳|Somaliland

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソマリランド」の意味・わかりやすい解説

ソマリランド
Somaliland

現在のソマリアジブチを形成する地域の歴史的名称。古代エジプトで「プントの国」と呼ばれた地方の一部と考えられる。7~12世紀にアラビア半島のイスラム商人が海岸地帯に住みつき,アデン湾に面してゼイラとベルベラインド洋沿岸にメルカ,バラーウェ,モガディシオの町をつくった。住民はスルタン領を築き,内陸部に暮らすキリスト教徒エチオピア人に戦いを挑んだ。 10~15世紀,遊牧民ソマリ族ソマリランド北部を占領イスラム教徒となってスルタンの軍隊に加わり,やがてスルタン領を支配下に収めて,勢力範囲を南のケニアまで拡大した。 19世紀後半,フランスが紅海入口のオボクを,エジプトが残る北部海岸地域を占領し,南部はザンジバルのスルタンの支配下にあった。 1880年代末,フランスは支配地を現在のジブチまで広げ,イギリスは北部海岸地方一帯を保護領とし,その他の地方はすべてイタリアが支配した。 1899年,ソマリランド北部でイスラム教指導者サイイド・ムハンマド・カブドゥル・ハッサンがイギリスに対して蜂起し,1920年に死亡するまで内陸地方を掌握した。第1次世界大戦後,イタリアが最南部のジュバランド領有,1936年にイタリア領ソマリランドとエチオピアを合わせてイタリア領東アフリカとしたが,第2次世界大戦でソマリランドのイタリア領はイギリスに占領された。 1960年,イタリア領とイギリス領の両ソマリランドが合併し,ソマリア共和国として独立した。フランス領ソマリランドは 1977年にジブチ共和国として独立した。 1991年,旧イギリス領ソマリランドがソマリランド共和国として独立宣言,1998年にはプントランドと呼ばれるソマリア北東部もソマリアからの分離独立を宣言したが,ともに国際的に承認されなかった。しかしソマリア内戦が国内全域に拡大するなか,ソマリランド共和国は比較的安定した状態を保った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソマリランド」の意味・わかりやすい解説

ソマリランド
そまりらんど
Somaliland

アフリカ北東部、アデン湾とインド洋に面する地域。サイの角(つの)の形をしていることから「アフリカの角」とよばれる。かつてのフランス領ソマリランド(現ジブチ)、イギリス領ソマリランド(現ソマリア西半)、イタリア領ソマリランド(現ソマリア東半)の範囲で、エチオピアのオガデン地方、ケニア北東部を加える場合もある。大部分が乾燥地帯で、遊牧民の多いソマリ人が住む。7世紀以後アラビア半島のイスラム教徒が渡来し、のちトルコの支配下に入り、19世紀にはエジプトの属領となった。1880年代にフランス、イギリス、イタリアが相次いで進出し、それぞれ保護領とした。1960年イギリス領とイタリア領は合併して独立しソマリア共和国となったが、フランス領は1977年国民投票でジブチ共和国として独立した。ソマリアはエチオピアに対しオガデン地方の返還を求め、しばしば紛争を起こし戦争状態が続いている。この地域は、中近東からインド洋へ抜ける重要な石油輸送路に位置するうえ、ソマリア、エチオピアへのアメリカとソ連思惑が絡み問題は複雑化していた。また、近年干魃(かんばつ)とイナゴの大群の襲来が続き、戦争の長期化とともに難民が生じ、新たな問題もおこっている。

[青木澄夫]

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