シャナナグスマン(英語表記)Xanana Gusmão

現代外国人名録2016 「シャナナグスマン」の解説

シャナナ グスマン
Xanana Gusmão

職業・肩書
独立運動家 元東ティモール首相,元東ティモール大統領,元東ティモール民族抵抗評議会(CNRT)議長

国籍
東ティモール

生年月日
1946年6月20日

出生地
ポルトガル領東ティモール・マナトゥト(東ティモール)

本名
グスマン,ホセ・アレクサンドル〈Gusmão,José Alexandre〉

受賞
東ティモール詩賞〔1974年〕,サハロフ人権賞〔1999年〕,シドニー平和賞(第3回)〔2000年〕

経歴
ポルトガル人とティモール人の間に生まれる。小学生の頃からサッカーの選手として活躍。オーストラリアの大学でジャーナリズムを学び、帰国後「東ティモールの声」の記者になり、詩を創作しては同紙に掲載。1975年インドネシアからの独立を目指す東ティモール独立革命戦線(フレティリン)に参加、’78年ゲリラ隊長を経て、’81年フレティレンの軍事部門・東ティモール民族解放軍(ファリンティル)司令官。’88年フレティレンを離脱し、大同団結組織・マウベレ民族抵抗評議会(CNRM)議長。反インドネシア闘争の先頭に立ち“独立の英雄”として国民の人気を集める。’92年11月反乱罪などで逮捕、終身刑を受けるが後に禁固20年に減刑され、ジャカルタのチピナン刑務所で服役。’98年獄中で東ティモール民族抵抗評議会(CNRT)議長に就任。ハビビ政権により東ティモール独立容認が打ち出され、’99年2月民家での軟禁措置に切り替えられる。同年8月東ティモールの独立の是非を問う住民投票で独立派が圧勝した後、釈放され、10月7年ぶりに東ティモールのディリ帰還。2000年8月ファリンティル司令官を引退。2001年6月CNRTを解散。2002年4月大統領選に圧勝、5月独立と同時に初代大統領に就任。2007年5月大統領退任。同年フレティリン政権に対峙し、東ティモール再建国民会議(CNRT)を設立、現場での陣頭指揮を執る。同年6月の総選挙後、8月首相に就任。2012年8月首相再任。2015年2月首相辞任。

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367日誕生日大事典 「シャナナグスマン」の解説

シャナナ グスマン

生年月日:1946年6月20日
東ティモールの独立運動家

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