東ティモール(読み)ヒガシティモール

デジタル大辞泉 「東ティモール」の意味・読み・例文・類語

ひがしティモール【東ティモール】

East Timor東南アジア小スンダ列島東端のティモール島東半分を占める国。正称、東ティモール民主共和国。首都ディリ。16世紀以降ポルトガル領。1949年にインドネシアオランダから独立し同島西半がインドネシア領になっても、東半ではポルトガル支配が続いた。1975年東ティモール独立革命戦線(フレティリン)が独立を宣言したが、インドネシアが軍事侵攻。独立闘争の末、2002年に正式に独立。自給的農業のほか目立った産業に乏しい。人口128万(2019)。東チモール

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共同通信ニュース用語解説 「東ティモール」の解説

東ティモール

インドネシア東部のティモール島の東半分を占め、面積は岩手県ほど。人口約134万人。第2次大戦中に日本が約3年半占領。1974年、旧宗主国ポルトガルが撤退を決めた後、独立派とインドネシア併合派の対立で内戦となり、76年にインドネシアが併合を宣言。99年の住民投票騒乱を経て、2002年5月20日に独立した。(ディリ共同)

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精選版 日本国語大辞典 「東ティモール」の意味・読み・例文・類語

ひがし‐ティモール【東ティモール】

  1. ひがしチモール(東━)

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百科事典マイペディア 「東ティモール」の意味・わかりやすい解説

東ティモール【ひがしティモール】

◎正式名称−東ティモール民主共和国Democratic Republic of Timor-Leste。◎面積−1万4954km2。◎人口−106万7000人(2010)。◎首都−ディリDili(19万人,2010)。◎住民−メラネシア系(テトゥン人など)が大部分。ほかにマレー系,華人など。◎宗教−カトリック約90%,ほかにプロテスタントイスラム。◎言語−テトゥン語とポルトガル語公用語。ほかにインドネシア語,英語など。◎通貨−米ドル。◎元首−大統領,タウル・マタン・ルアクTaur Matan Ruak(2012年5月就任,任期5年)。◎首相−アラウジョRui Maria de Araujo(2015年2月発足)。◎憲法−2002年3月採択。◎国会−一院制(定員65,任期5年)。2012年7月選挙結果,再建国民会議30,フレテリン25,民主党8など。◎GDP−5億ドル(2008)。◎1人当りGNP−316.7ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−不詳。◎平均寿命−男66.0歳,女69.1歳(2013)。◎乳児死亡率−46‰(2010)。◎識字率−不詳。    *    *マレー諸島南東部,ティモール島の東半分を占める国。東チモールとも。丘陵性山地や草原が多い。コーヒー,ゴム,コプラなどが栽培される。1859年,1893年,1904年の条約でポルトガルとオランダがティモール島を分割して以来,ポルトガル領とされた。太平洋戦争中に日本軍が一時占領。1974年のポルトガル本国での民主化クーデタ以後,東ティモール独立革命戦線(通称フレテリン)を中心に独立運動が起こった。インドネシアはこれに介入,親インドネシアの東ティモール臨時政府が樹立され,1976年にインドネシアに合併,全ティモール島が東ティモール州としてインドネシア領とされた。ポルトガルと国連はこれを認めず,1982年まで毎年撤退要求を行ったが,インドネシアはこれを内政問題として実効支配を続け,政府によるインドネシア化政策や,軍による弾圧,人権侵害は住民の不満を招いていた。1991年11月,インドネシア軍による住民への発砲事件(ディリ事件)では多くの死者が出たため,オランダをはじめ各国から人権抑圧が厳しく批判された(フレテリンの指導者の一人ラモス・ホルタカトリック教会のベロ司教は,東ティモール紛争の平和的解決を追求してきたとして1996年のノーベル平和賞を受賞)。インドネシアのスハルト政権に代わったハビビ政権は1999年1月,東ティモールの分離独立容認を決定,同年8月の国連管理下での住民投票では8割近い住民が自治案を拒否した。しかし,独立を否定する残留派民兵の抵抗が強く,同年9月に派遣された国連の多国籍軍のもとで治安回復が図られ,国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)が設立された。2001年8月憲法制定議会選挙を実施,2002年3月憲法が公布された。同年4月大統領選挙でグスマンが当選,5月インドネシアから独立した。同年9月国連に加盟。なお,ティモール海のオーストラリアとの海底境界は一部未画定であり,画定までの間,共同石油開発地域が設けられている。
→関連項目アジアインドネシア東南アジア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東ティモール」の意味・わかりやすい解説

東ティモール
ひがしティモール
East Timor

正式名称 東ティモール民主共和国 República Democrática de Timor-Leste。
面積 1万4919km2
人口 132万(2021推計)。
首都 ディリ

ティモール島の東半分と沖合に浮かぶアタウロ(カンビン)島,ジャコ島,およびティモール島北西岸のパンテマカッサルを中心とする飛び地アンベノ地区で構成される国。南東はティモール海,北はウェタル海峡,北西はオンバイ海峡,南西は西ティモール(インドネシアのヌサトゥンガラティムール州)に接する。起伏の激しい地形で,タタマイラウ山(2963m)がそびえる。気候は乾燥した熱帯性気候で,降雨量は中程度。山岳地帯はビャクダン(白檀)の木に覆われ,低地は低木や草が茂り,ココヤシやユーカリの木も生育する。温泉も湧出し,山を水源とする河川が数多く流れている。有袋動物の一種であるクスクスのほか,サル,シカ,オオジャコウネコ,ヘビ,ワニなどの野生生物が生息している。住民の大部分はメラネシア系。ほかにもマレー系,ポリネシア系,中国系がいる。キリスト教徒が大半を占める。方言も含め約 40の言語が使用され,その代表的なものはテトゥン語である。ポルトガル人が最初にティモール島に居住したのは 1520年,その 2年後にスペイン人が入植した。1613年にオランダが島の西半分を占領。1812年から 1815年にかけてイギリスの統治下に置かれた。その後オランダとポルトガルの間で領有権争いが起こったが,1860年と 1893年の条約で東ティモールはポルトガルの領地になることが決まった。だが,1893年の条約が効力を生じるようになったのは 1914年になってからであった。第2次世界大戦中は日本軍の占領下に置かれた。その後,飛び地アンベノを含む東ティモールは再びポルトガル領となったが,1975年独立派の有力政党である東ティモール独立革命戦線 FRETILINが領地の大部分を支配下に置き,11月に東ティモール民主共和国の独立を宣言。これを認めないインドネシアは 12月に武力侵攻し,1976年東ティモールをティモールティムール州として併合した。インドネシアとの 20年以上にわたる戦闘や飢餓,病気で,一説には 20万に上る住民が死亡したといわれた。特に 1991年にディリで起こったインドネシア軍と東ティモール住民の衝突事件は広く報じられ,国際的な関心を呼んだ。国際社会の非難の高まりを受け,インドネシア政府は東ティモールの独立の是非を問う住民投票を行なうことを認め,1999年8月に実施。その結果,有権者のほぼ 5分の4が独立を支持したため,インドネシアの国民協議会は東ティモール併合決議を破棄することを決定した。約 2年半の国際連合による暫定統治を経て,2002年5月20日,独立指導者のジョゼ・A.グスマンを初代大統領とする東ティモール民主共和国が誕生した。経済の中心は農業で,主要作物はコプラ,コーヒー,綿,米,コムギ,タバコ,羊毛,ジャガイモ,トウモロコシなど。石鹸,香水,加工食品,化学薬品,機械製品なども生産され,コーヒー豆の加工も行なわれる。工芸品としては陶器,木彫,象牙彫などがある。北東岸に平行して道路が走り,マウバラ,マナトゥト,トゥトゥアラ,ディリといった都市を結んでいる。飛び地アンベノには貴重なビャクダンやココヤシの林があり,米が栽培されている。中心都市パンテマカッサルには港と空港がある。沖に浮かぶ丘陵状の島アタウロ島ではおもに漁業が営まれ,空港も設置されている。通貨は米ドル。

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改訂新版 世界大百科事典 「東ティモール」の意味・わかりやすい解説

東ティモール (ひがしティモール)
East Timor

基本情報
正式名称=東ティモール民主共和国Republica Democratica de Timor Leste/Democratic Republic of East Timor 
面積=1万4919km2 
人口(2010)=107万人 
首都=ディリDili(日本との時差=0時間) 
主要言語=ポルトガル語(公用語),テトゥン語(国家語),インドネシア語 
通貨=アメリカ・ドルUS Dollar

インドネシア南東部の小スンダ列島に属するティモール島(チモール島とも)の東部を占める国。ティモール島東部は18世紀からポルトガル領とされてきた。1974年ポルトガル本国の政変を受けて東ティモールでも独立運動が高まった。76年インドネシア領に併合されたが,2002年5月,独立した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「東ティモール」の解説

東ティモール(ひがしティモール)
East Timor

小スンダ列島東端のティモール島東半部。かつて白檀(びゃくだん)の産地。16世紀に進出し植民地としたポルトガルが1974年その自決権を認めると,75年東ティモール独立革命戦線が内戦を制し独立を宣言した。だがインドネシアのスハルト政府は76年これを武力併合し,抵抗勢力に武力弾圧を続け,国連総会の住民自治権擁護決議も日米欧諸国に無視された。91年軍が住民集会に無差別発砲した事件がインドネシアへの非難を喚起し,国際的な問題解決への動きを促した。スハルト退陣後のハビビ政権は99年1月独立容認も含む妥協案を示し,8月の東ティモール住民投票では独立支持が78.5%を占めた。残留派のテロ活動で一時混乱したが,国連暫定統治機構のもと2001年7月制憲議会選挙で独立準備が整い,02年5月独立。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東ティモール」の意味・わかりやすい解説

東ティモール
ひがしてぃもーる

東チモール

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