東ティモール(読み)ひがしティモール

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東ティモール」の意味・わかりやすい解説

東ティモール
ひがしティモール
East Timor

正式名称 東ティモール民主共和国 República Democrática de Timor-Leste。
面積 1万4919km2
人口 132万(2021推計)。
首都 ディリ

ティモール島の東半分と沖合に浮かぶアタウロ(カンビン)島,ジャコ島,およびティモール島北西岸のパンテマカッサルを中心とする飛び地アンベノ地区で構成される国。南東はティモール海,北はウェタル海峡,北西はオンバイ海峡,南西は西ティモール(インドネシアのヌサトゥンガラティムール州)に接する。起伏の激しい地形で,タタマイラウ山(2963m)がそびえる。気候は乾燥した熱帯性気候で,降雨量は中程度。山岳地帯はビャクダン(白檀)の木に覆われ,低地低木や草が茂り,ココヤシユーカリの木も生育する。温泉も湧出し,山を水源とする河川が数多く流れている。有袋動物の一種であるクスクスのほか,サル,シカ,オオジャコウネコ,ヘビワニなどの野生生物が生息している。住民の大部分はメラネシア系。ほかにもマレー系,ポリネシア系,中国系がいる。キリスト教徒が大半を占める。方言も含め約 40の言語が使用され,その代表的なものはテトゥン語である。ポルトガル人が最初にティモール島に居住したのは 1520年,その 2年後にスペイン人が入植した。1613年にオランダが島の西半分を占領。1812年から 1815年にかけてイギリスの統治下に置かれた。その後オランダとポルトガルの間で領有権争いが起こったが,1860年と 1893年の条約で東ティモールはポルトガルの領地になることが決まった。だが,1893年の条約が効力を生じるようになったのは 1914年になってからであった。第2次世界大戦中は日本軍の占領下に置かれた。その後,飛び地アンベノを含む東ティモールは再びポルトガル領となったが,1975年独立派の有力政党である東ティモール独立革命戦線 FRETILINが領地の大部分を支配下に置き,11月に東ティモール民主共和国の独立を宣言。これを認めないインドネシアは 12月に武力侵攻し,1976年東ティモールをティモールティムール州として併合した。インドネシアとの 20年以上にわたる戦闘や飢餓,病気で,一説には 20万に上る住民が死亡したといわれた。特に 1991年にディリで起こったインドネシア軍と東ティモール住民の衝突事件は広く報じられ,国際的な関心を呼んだ。国際社会の非難の高まりを受け,インドネシア政府は東ティモールの独立の是非を問う住民投票を行なうことを認め,1999年8月に実施。その結果,有権者のほぼ 5分の4が独立を支持したため,インドネシアの国民協議会は東ティモール併合決議を破棄することを決定した。約 2年半の国際連合による暫定統治を経て,2002年5月20日,独立指導者のジョゼ・A.グスマンを初代大統領とする東ティモール民主共和国が誕生した。経済の中心は農業で,主要作物はコプラ,コーヒー,綿,米,コムギ,タバコ,羊毛ジャガイモトウモロコシなど。石鹸,香水,加工食品,化学薬品,機械製品なども生産され,コーヒー豆の加工も行なわれる。工芸品としては陶器,木彫,象牙彫などがある。北東岸に平行して道路が走り,マウバラ,マナトゥト,トゥトゥアラ,ディリといった都市を結んでいる。飛び地アンベノには貴重なビャクダンやココヤシの林があり,米が栽培されている。中心都市パンテマカッサルには港と空港がある。沖に浮かぶ丘陵状の島アタウロ島ではおもに漁業が営まれ,空港も設置されている。通貨は米ドル

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東ティモール」の意味・わかりやすい解説

東ティモール
ひがしてぃもーる

東チモール

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