日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャリル」の意味・わかりやすい解説
シャリル
しゃりる
Sutan Sjahrir
(1909―1966)
インドネシアの政治家。シャフリルとも表記される。オランダのライデン大学在学中からM・ハッタらと民族主義組織「インドネシア協会(プルヒンプナン・インドネシア)」を指導。1932年帰国後インドネシア国民教育協会を結成し、対オランダ非協力運動を展開、1934年逮捕される。1942年ジャワ侵攻の日本軍に釈放されたが非協力を貫く。1945年8月の独立宣言に伴い設立された中央国民委員会(国会にあたる)常務委員長に就任する一方、左派勢力と提携して社会党を結成、スカルノらと対立。同年末自ら首相・外相・内相を兼ねる第一次シャリル内閣を組閣、オランダとの協調による独立を求めたが果たさず、1947年第四次内閣を最後に下野。1948年インドネシア社会党(PSI:Partai Sosialis Indonesia)を結成。1955年の第1回総選挙では惨敗したが、その反共的社会民主主義路線は知識人・学生・軍の一部に深く浸透した。1958年の反スカルノ派の反乱との関連で1960年PSI解党を余儀なくされ、1962年逮捕されたが1965年スイスに亡命、翌1966年チューリヒで客死。
[黒柳米司]