改訂新版 世界大百科事典 「シャフリル」の意味・わかりやすい解説
シャフリル
Sutan Sjahrir
生没年:1909-66
インドネシア共和国の政治家。インドネシア社会党の指導者で,スカルノの政敵。ハッタと同じく西スマトラのミナンカバウ族の出身。20歳の時ライデン大学に留学して以来政治活動に入り,1931年に帰国してからは,ハッタとともにインドネシア民族教育協会を指導した。34年以来イリアンとバンダネイラに流刑となり,日本軍政中にジャワへ戻ったが,軍政への協力は拒んだ。45年11月に《われらの闘争》という政治宣言を記し,スカルノを対日協力者であるとして厳しく批判し,民主主義政体の樹立を訴えて青年,知識人の支持と国際的な声価を得て政界入りした。45年末から47年にかけて首相と外相の要職に就き,オランダとの外交交渉を進めた。48年には,インドネシア社会党を結成して党首となった。その後も議会制民主主義と西欧的個人主義の確立を唱える社会党の指導者として知識人の間に支持を得たが,〈指導された民主主義〉の体制下でスカルノから敵対視され,62年に逮捕,亡命先のスイスで客死した。流刑先での書簡集《流刑地から》ほかの著作があり,いまなお知識人層に一定の影響力をもっている。
執筆者:土屋 健治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報