デジタル大辞泉 「シャルフォンベル」の意味・読み・例文・類語 シャル‐フォン‐ベル(Schall von Bell) ⇒アダム=シャール 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャルフォンベル」の意味・わかりやすい解説 シャル・フォン・ベルSchall von Bell, Adam [生]1591.5.1. ドイツ,ケルン[没]1666.8.15. 中国,北京ドイツ人のイエズス会宣教師,天文学者。アダム・シャルともいわれる。中国名は湯若望。ガリレオ・ガリレイの天文学を学び,天啓2(1622)年中国に入る。同 7年北京に赴き天文観測で名声を得,陝西で布教に従事。崇禎3(1630)年召されて上京し,徐光啓の援助を得て中国暦の改修にあたり,『崇禎暦書』を翻訳作成した。同 9年には勅命で北京に炉を開き,多数の火砲を鋳造した。明が滅び清に入ってからも,順治2(1645)年に西洋暦による「時憲暦」を完成し,同 3年欽天監監正(天文台長官)に任命された。これにより順治帝の愛顧を得て布教事業を進めたが,守旧派の天文学者の讒言で失脚し,康煕4(1665)年死刑を宣告され翌年没した。死後 3年を経たのち,その名誉は回復された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by