ジョルジーニョ(英語表記)Jorginho

現代外国人名録2016 「ジョルジーニョ」の解説

ジョルジーニョ
Jorginho

職業・肩書
サッカー監督(バスコ・ダ・ガマ)

国籍
ブラジル

生年月日
1964年8月17日

出生地
リオデジャネイロ

本名
カンポス,ジョルジ・デ・アモリン〈Campas,Jorge de Amorim〉

受賞
国際サッカー連盟フェアプレー賞〔1992年〕,JリーグMVP〔1996年〕

経歴
1982年ブラジルのアメリカFCでキャリアをスタート。’84年フラメンゴに移籍し、ジーコらとプレー。’89年ブンデスリーガのレバークーゼン、’92年バイエルン・ミュンヘンでプレー。’95年Jリーグの鹿島アントラーズ入り。’96年リーグ優勝に貢献し、Jリーグ年間最優秀選手(MVP)に輝く。’97年ナビスコ杯優勝・MVP。’98年リーグ優勝。Jリーグ通算103試合出場17得点。’98年12月ブラジルのサンパウロFCに移籍。2000年バスコ・ダ・ガマ、2002年フルミネンセでプレー。一方、1983年南米選手権でブラジル代表に。’88年ソウル五輪では守りに加え積極的な攻撃参加を見せ、銀メダルに貢献。W杯は’90年イタリア大会、’94年米国大会全試合に出場し、’94年優勝を果たした。ブラジルを代表する右サイドバックとして活躍し、2003年現役を引退代理人を経て、2005年指導者の資格を取得し、10月自身がプロ生活を始めたアメリカFC監督に。2006〜2010年ブラジル代表のヘッドコーチを務め、2010年W杯南アフリカ大会に参加。同年ゴイアス監督を経て、2011年地方クラブのフィゲイレンセ監督となり、チームを全国選手権7位に導いた。2012年古巣・鹿島の監督に就任。同季はナビスコ杯を史上初めて選手と監督の両方で制したが、リーグは11位に終わる。家庭の事情により1年で退任。2013年フラメンゴ、ポンチ・プレッタ監督、2014年UAEのアル・ワスル監督を経て、2015年バスコ・ダ・ガマ監督。この間、2000年出身地区の子供にスポーツや勉強を学ばせる財団を設立した。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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