ジョン・モークリー(読み)じょんもーくりー(英語表記)John Mauchly

ASCII.jpデジタル用語辞典 「ジョン・モークリー」の解説

ジョン・モークリー

最初汎用コンピューターENIACの発案者。1907年生まれ。1925年、米ジョンズ・ホプキンス大学に入学し、1932年に物理学博士号を取得している。1941年、分子エネルギーの計算などを行っていたジョン・モークリー氏は、高度な計算を可能とする汎用コンピューター構想を温めていた。そのコンピューターの開発のために、米ペンシルバニア大学のムーア・スクールで開かれた電気工学講座に参加したジョン・モークリー氏は、ジョン・プレスパー・エッカート氏と出会い、汎用コンピューターの構想を確立していく。当時は第二次世界大戦の最中であり、陸軍の弾道研究所が弾道計算のために高速なコンピューターの開発を必要としていた。ジョン・モークリー氏の汎用コンピューターの構想を知った陸軍が支援することになり、1944年、汎用コンピューターENIACの開発プロジェクトが始まった。

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20世紀西洋人名事典 「ジョン・モークリー」の解説

ジョン モークリー
John Mauchly


1907.8.30 - 1980.1.8
米国の電子工学技術者。
元・アーサイナス・カレッジ大学教授。
オハイオ州コネティカット(シンシナティ説もあり)生まれ。
別名John William Mauchly。
ジョンズ・ポプキンズ工科大学で学位取得後、ペンシルベニアのカレッジヴィルのアーサイナス・カレッジ物理学教授となる。1941年ペンシルベニア大学のムーア・スクールで電気工学を学び、講師として残る。戦時研究の一環としてムーア・スクールが「電子式数値積分計算機」開発を委託された際にプロジェクトチームが結成され、主任顧問を務め、実質的なリーダーである主任技師にはエッカートが務める。その後、モークリーとエッカートは大学を去り、会社を設立、商用コンピュータUNIVACの研究開発を行い、完成させる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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