インド本国外に居住(定住)するインド系移民(在外インド人)。19世紀以降のインド系移民には、その名称・統計・概念に複雑な要素が絡む。
[重松伸司]
「印僑」という名称についてであるが、数世代にわたって定住する中国系移民の末裔(まつえい)は、第一世代の華僑とは区別して華人、中国系○○人とよばれるのに対して、インド系移民に関しては、一時的滞在(僑つまり仮寓(かぐう))のインド系移民だけでなく、数世代に及ぶ定住移民についてそれを表す適切な邦語名称はなく、一時滞在・長期定住を問わず「印僑」と通称されてきた。また、英領植民地時代の移民には、今日のインドのみならず、ネパール、バングラデシュ、パキスタンなど南アジア各地の移民も含まれていた。英領時代および独立後の移民を含めて、OSA(Overseas South Asians、在外南アジア人)、OI(Overseas Indians、在外インド人)などの表記が使われているが、両者の概念に大きな違いはない。1980年代以降、インド政府はインド国籍保持者も含めた在外定住のインド系エリート層を新たにNRI(Non-Resident Indians、在外インド人)とよんでいる。1990年代には、PIO(Persons of Indian Origin、インド出自の人々)やIndians Diaspora(離散インド人)という名称も使われている。このように、日本ではひと口に印僑とよばれるが、英語ではさまざまな呼称が使われている。今日の状況からみて、「在外インド人」という呼称が妥当であろう。
[重松伸司]
1980~1990年代のインド系移民の総数は、全世界で800万~1600万人と統計により開きがあるが、南アジア(ネパール、スリランカ)への移民を除けば、統計資料の多くはほぼ1000万人と算定している。移民統計には、インド下院議会外交委員会報告(1981)の公的な推計のほかに、年鑑、タタ研究所(インドの代表的な財閥であるタタ・グループのシンク・タンク)など民間統計機関や経済情報誌、国際機関による推算、そしてインド系住民を擁する各国の人口センサス(調査)に表れたインド系住民の統計がある。各統計資料ごとに「インド系」「移民」の規定根拠や統計の抽出時期、典拠などが異なるためその総数にはばらつきがあり、一桁の人数まで算出することは不可能である。
インド外務省の推計(1980~1982議会報告書)によれば、移民の分布は、東南アジア(マレーシア、シンガポールなど)に総数の約20%、アフリカ(南アフリカ共和国、モーリシャスなど)に約16%、中・南米(トリニダード・トバゴ、ガイアナ、スリナムなど)に約11%、ヨーロッパ(イギリス、オランダなど)に約17%、オセアニア(フィジー、オーストラリアなど)に約11%、西アジア(サウジアラビア、アラブ首長国連邦、オマーン、クウェートなど)に15%、北米(アメリカ、カナダ)に約8%である。1980年代後半の湾岸諸国への出稼ぎ労働者や1990年代の北米へのNRIの増大によって、この分布比率には変化が生じている。
[重松伸司]
インド外務省は定住国の国籍・市民権やインド国籍、父系・母系の血筋にかかわらず、インド人の血統を引く者を「インド系移民(とその末裔)」と規定する。しかし、国によっては同化(国籍・市民権を取得)した者には、インド系といった概念規定を認めない場合もあり、また、自己規定による「インド系」「非インド系」という概念もあって多様である。
インド系移民の職種も多様化している。
(1)英領植民地時代の初期移民の多くは、プランテーション(東南アジアのコーヒー、ココア、ゴム、紅茶、アフリカの綿花、中・南米やフィジーのサトウキビなどの農場)労働者、鉄道・港湾建設(アフリカ、東南アジア、カナダ)労働者であった。
(2)彼ら移民の第三~第四世代からは、商業のみならず弁護士・裁判官、医者、学者などの専門職、外交官僚、国際機関官僚、政治家、銀行・商社の事務管理職、コンピュータ技術者などが台頭している。
(3)1980~1990年代以降には、新たな移民の潮流が生まれてきた。エリート移民層NRIの進出である。彼らはヒンドゥージャ、B・R・シェッティなどのように、主として欧米を拠点に定住し、多国籍企業として事業展開する新興企業集団である。インド政府は1980年代後半に、「インド国籍の有無にかかわらず、これまで諸外国で活躍してきたインド系(英領時代にインドに居住していた者やインド旅券の保持者を含む)」をNRIと規定した。その意図は、ラジブ・ガンディー、ナラシマ・ラーオNarasimha Rao(1921―2004)両政権による市場開放政策のもとに、NRIの豊富な資本・技術・人材・情報をインドへの投資に向けるためであった。インド国内の企業ライセンス取得、資本保有比率、税負担、土地保有権などの優遇措置を受けて、1990年代以降、NRI企業家グループは、航空、化学、発電、港湾建設、医療、アパレル、電子工業など各種産業への投資・運営を行っている。
(4)また、1990年代後半には、コンピュータソフト産業の技術者・起業家としてインドからアメリカのシリコンバレーやシアトル、東部地域へ移住する新世代移民も現れている。なかには、マルワリの出身ではあるが、現在オランダに拠点を置く鉄鋼王ミッタルに代表されるような、多国籍・多業種起業家も現れている。北アメリカ、イギリス、東南アジアの新移民層の間には国際的な情報ネットワークが形成され、音楽、ファッション、映画、娯楽などの移民情報文化が生まれつつある。
(5)他方、1980年代後半から増大した湾岸諸国への出稼ぎ移民は、建設労働、雑役、家内労働など、肉体労働者が主である。彼らは「印僑」とよばれる、初期の一時的な出稼ぎ移民としての形態や性質をもっている。彼らの送金が本国に残留する家庭の家計維持、本国における小規模商店の開業や住宅、土地購入の原資となっている。同時に家族の離散や移住国での失業など社会・経済問題も発生している。このように1980年以降の新移民層の間には、その職種・収入・移住地・社会状況などと関連して、二極的な階層分化が生じつつある。
[重松伸司]
インド系移民の特質を集約すれば以下の点であろう。
(1)家族・同族(血縁)・カースト・宗教・言語・同郷を単位とする結合が依然として強い。
(2)国家単位としてのインドへの執着・愛着はかならずしも強くない。そのことが逆に多国間の活躍を生み出す背景となっているともいえよう。
(3)旧インド系移民は都市内周辺部あるいは都市近郊地域に居住する傾向があり、中国人の都市中枢部居住型と対照的である。しかし、今日では、都市中心部に居住・定住する移民も増加しつつある。
(4)官界・政界の有力者も出現するが、概して政治権力の中枢には関与しない。もっぱら、産業界・経済界での活躍に活路をみいだしている。
(5)第一次、第二次移動など、複数の国・地域にまたがる移動が生じつつある。新移民のなかには、技術・資本・頭脳をもって、インド「本国」に回帰する人々も増加している。
[重松伸司]
『『マラヤの華僑と印僑』(1961・アジア経済研究所)』▽『V・S・ナイポール著、工藤昭雄訳『インド――傷ついた文明』(1978・岩波書店)』▽『『中洋の商人――インド・ペルシャ・アラブの商才民族』(1982・日本経済新聞社)』▽『重松伸司著『東南アジアのインド移民――インタヴュー記録・特定研究報告書』(1984・名古屋大学文学部)』▽『伊藤正二・絵所秀紀著『立ち上がるインド経済』(1995・日本経済新聞社)』▽『S・カールズ、M・J・ミラー著、関根政美・関根薫訳『国際移民の時代』(1996・名古屋大学出版会)』▽『重松伸司著『国際移動の歴史社会学――近代タミル移民社会研究』(1999・名古屋大学出版会)』▽『古賀正則・内藤雅雄・浜口恒夫共編『移民から市民へ――世界のインド系コミュニティ』(2000・東京大学出版会)』▽『門倉貴史著『図説BRICs経済――台頭するブラジル、ロシア、インド、中国のすべて』(2005・日本経済新聞社)』
インド系移民のこと。一般に近代以降にインドから諸外国に移住した集団を指すが,国籍のいかんにかかわらず,言語,宗教,血縁などによってインド人としての帰属意識を維持している集団およびその成員を指す。中国系(華僑),ユダヤ系,アルメニア系移民とともに四大移民集団の一つ。その総人口は1050万(1979年,インド外務省調べ)にのぼる。そのうち11%はスリランカ,10%はマレーシア,12%はトリニダード・トバゴ,スリナム,ガイアナなど中南米,15%はアフリカ諸国,その他フィジー,モーリシャス,イギリス,アメリカ,カナダに,そして近年には中東諸国にも居住している。印僑の移住時期と移住地は世界の産業変動と密接に関連している。初期の移民は18世紀末にはじまるが,イギリス植民地の開拓に従事し,クーリーとよばれた。1830年代に砂糖生産が拡大すると,その労働力として西インド諸島,フィジー,マレー半島の各地に徴募された。その場合,インデンチュアード・システムとよばれる一種の年季契約制度により3~5年間プランテーションで働き,その後は帰国または継続滞在が認められた。しかし実際には奴隷貿易の形であり,やがてインドおよびイギリス本国の非難をあびて廃止される。さらに70年代のコーヒー,あるいは紅茶栽園経営の結果,大量の労働力を必要としたヨーロッパ人経営者は,インド政庁の協力によって年間10万人にのぼる労働者を移住させた。これら労働力を組織的・継続的に確保するため,農村出身者の移民の中から地方の事情に通じた者と契約し,彼らを通じて数人ないし数十人単位で移民を集めた。この徴募人はカンガニーとよばれる。印僑は必ずしもプランテーション労働者とは限らず,その職種は出身地域や出身コミュニティと比較的対応している。南インドからの移民の中にはプランテーション労働者のみならず,ビルマ(現ミャンマー),マレー半島に勢力を誇ったチェティヤール商人がいる。また南米,マレー半島ではベンガル出身の下級官吏が,東アフリカ,南アのナタールなどではパンジャーブ出身の技術者,商人が多い。近年のインド移民の特徴としては,数学・物理・生物などの科学者や医師が欧米へ,また建築労働者や技師はペルシア湾岸諸国に移住するという傾向がみられる。インドの独立運動期には海外のインド人も積極的に活躍したが,中でもイギリス領マラヤではスバース・チャンドラ・ボースに率いられたインド国民軍は圧倒的にインド移民により物心両面から支えられていたし,南アフリカではガンディーによって着実な人種差別反対運動が進められた。印僑の特徴としては,多民族,多言語,多宗教である複合国家としてのインドから,他の複合社会への移住という点があげられる。したがって,印僑の研究は複合民族社会におけるナショナリズムのあり方や融合文化の特質を理解するうえで重要な役割を果たしている。同時に印僑の維持してきたインド人としての価値規範やカースト観,宗教意識も徐々にではあるが変質をとげつつある。
執筆者:重松 伸司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(竹内幸史 朝日新聞記者 / 2007年)
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インド系の移民をさす。18世紀末以降の移民の大きな特徴は,イギリス植民地の発展に応じて展開したことである。多くはクーリーと呼ばれた隷属的労働者で,西インド諸島,スリランカ,マレー半島などのプランテーションで労働についた。また植民地経営に結びついた下級官吏,商人などもいた。近年の特徴は,欧米への頭脳流出ともいうべき科学者や医師などの移民である。特徴としてコミュニティ別の分裂が移住先でもみられる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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「南アジア系移民」のページをご覧ください。
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