アメリカの放送・通信産業の老舗(しにせ)企業。かつて強大な地位を誇ったが、1960年代の多角化を経て、1985年ゼネラル・エレクトリック(GE)に買収された。
[奥村皓一]
1919年10月にゼネラル・エレクトリックの出資によってラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカRadio Corp. of Americaがデラウェア州に設立され、同年11月にマルコーニ無線電信会社Marconi Wireless Telegraph Co.(放送通信の機器製造)の資産を吸収した。1926年、ラジオ放送局NBCを設立して放送事業に参入。1929年には破産の危機にあったビクター・トーキング・マシーンVictor Talking Machine Co.を買収してRCAビクターを発足させ、レコード産業にも進出した。以後、実質的に全米の商業ラジオ、テレビ放送、通信放送設備(技術開発・機械生産・運用)を支配するようになった。
1933年、ニューディール政策の一環として、連邦政府の独占禁止法裁判の結果、RCAは親会社のGEから分離した。1930年代からはニューヨークのロックフェラー・センターの中心、ラジオ・シティ(RCAビル)に本社を移し、GEとともにアメリカ国民に広く親しまれてきた。第二次世界大戦においては、アメリカの情報戦略にも協力。戦後のカラーテレビ普及期には、テレビの本体製造と放送の両面で市場を席巻(せっけん)して、1950年代末に黄金時代を迎える。1965年に事業多角化に伴い、略称のRCAを正式名称とした。
[奥村皓一]
1920年代から1970年代にかけて、RCAの生成・発展・成熟期に君臨してきた最高経営者はデビッド・サーノフDavid Sarnoff(1891―1971)であった。彼は戦時には中央政府に投資してRCAを国家協力企業体に発展させ、平時になるとラジオ、テレビ、ビデオ(VTR)、電子部品、放送設備、民生用エレクトロニクス、国際通信の発達に向けて積極的に投資をして事業を拡大した。サーノフはRCAの多角化路線にもレールを敷き、国防用電子製品や国際通信業務、政府向け各種システムから、レンタカー、リース事業や金融事業にまで手を広げた。とくに1980年の大手金融会社CITファイナンシャル(消費者、産業向け金融や生命・健康保険)の買収は有名である。
RCAは1970年代、1980年代も高度技術を有する優良企業であり続けたが、国内のライバルとしてIBMやAT&Tが台頭していた。1950年代なかばに立ち上げられたRCAのコンピュータ部門は、1970年代初めにIBMとの競争に敗れて撤退。家電部門では日本の総合電機メーカーがアメリカ市場進出を開始していた。RCAは各種のハイテク分野をもちつつも、1960年代からの多角化戦略のもたらす相乗効果を企業活力に結び付けられなかったのである。
[奥村皓一]
その結果、1985年12月にRCAはGEに62億8000万ドルで買収されることとなった。これは、1980年代の合併・買収(M&A)ブームの最高峰を示すものであり、石油産業の合併を除けば史上最高の買収金額となった。1984年の『フォーチュン』誌ランキングでGEは製造業として8位、RCAは多角企業として2位の地位にあった。1933年にGEからRCAが分離されて以後、両社に資本関係はなかったが、1980年代から始まったアメリカ企業の国際競争力回復(とくに日本とドイツ企業への巻き返し)をねらって、モルガン系金融機関を仲介として合併交渉が行われた。
GEは1970年代にエネルギー資源関連企業などの買収に乗り出していたが、1980年代にはこれらを売却し、その売却資金の投資先を求めていた。一方、RCAは傘下に放送事業(NBC、現NBCユニバーサル)をもっており、IBMやディズニーによる買収も取りざたされていた。そのような状勢のなかで、RCAはかつての親会社のGEとの一体化を選択したのである。両社合併は単なる関係復活や規模の利益を求めての総合化ではなく、航空・宇宙・情報通信・放送など成長性の高い分野での相互補完ないし相乗効果の意味をもっていた。
おりしも1980年代は、メディア、アミューズメント、通信、コンピュータなどの巨大企業が業界の垣根を越えて合一を模索する時代であった。GEの経営力・資金力とRCAのハイテクをあわせれば、情報通信・メディア、金融サービスが融合する新ハイテク産業のリーダーとなりうる。アメリカの三大衛星メーカーの一つでもあったRCAはVAN(付加価値通信網)にも進出していた。放送部門のNBCはアメリカの主要テレビ・ネットワークの一つとして超一流の放送技術を有し、ニューメディアでもIBMやAT&Tにないソフトをもっていた。コンピュータと通信、放送の結合がもたらすネットワークの世界は超大型資本による新たな情報革命の時代を先取りしようというものであった。
[奥村皓一]
合併から2年後の1987年、「世界市場でシェアが1位か2位の分野を除いて、ほかの事業部は売却する」というGEの会長ウェルチJack Welch(John Francis Welch Jr.、1935―2020)によるリストラクチャリング戦略に基づいて、放送部門(NBC)と宇宙衛星部門を残して、RCAの家電部門はGE家電部門ともどもフランス家電メーカーのトムソンThomsonに売却する交渉が開始され、1988年に売却が完了した。
こうして多角企業RCAの各部門は、GEに吸収、あるいはトムソンなど他企業に売却された。
[奥村皓一]
『ロバート・ソーベル著、鈴木主税訳『大企業の絶滅――経営責任者たちの敗北の歴史』(2001・ピアソン・エデュケーション)』▽『Robert SobelRCA(1986, Stein & Day)』
エレクトロニクス,放送(NBC),レンタカー(ハーツ社Hertz),国際通信など多部門に展開するアメリカの世界的大企業。本社ニューヨーク。同社は,ゼネラル・エレクトリック社(GE)の理事であったO.D.ヤングが,政府の援助を受けて無線通信組織を統一するため,1919年10月にRadio Corporation of America(略称RCA)を設立したことに始まる。69年5月社名をRCA Corp.に改称。1919年11月にはイギリス資本のマルコーニ無線電信社の資産を取得し,海外の有力無線通信企業とひろく通信契約を結び,20年には最初の大西洋横断長波無線通信を開設した。その後,既存海底電信企業に対抗して短波無線通信を開拓した。また26年には,当時興隆しつつあったラジオ放送事業に着目,総合電機メーカーのGE,ウェスティングハウス社と共同してNBCを創設,NBCは今日,CBC,ABCとともに全米三大ネットワークの一角を占めるに至っている。研究面では,カラーテレビ受像機を開発したことで有名であり,42年開設のプリンストン研究所は全米有数の研究機関である。多角化を進め,冷凍食品,カーペット,食品販売,金融・保険(C.I.T.Financial Corp.)などの事業も手がけているが,近年はエレクトロニクス分野に力を注ぎ,他の事業は整理する方向にある。売上構成は,民生用エレクトロニクス製品(テレビ,ビデオテープレコーダーなど)が最も多く,次いで放送,レンタカー,外販用エレクトロニクス製品(半導体,テレビのブラウン管など)がおもなところである。売上高82億ドル(1982年12月期)。86年GE社に買収された。
執筆者:青木 良三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…アメリカの映画会社。1928年,ラジオ・パテント会社,ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(アールシーエー(RCA))が,数度にわたる吸収,合併,提携を経て,興行会社キース・アービー・オーフィアム(KAO)を傘下におさめ,製作・配給・興行部門をもつ映画企業体として設立した。RCAは,1905年にできたアメリカ最初の映画館といえる〈ニッケル・オデオン〉の経営者J.フリューラーが中心になって,12年に創立した配給会社ミューチュアルと,さらにその傘下にあった独立製作者群にまでさかのぼる複雑な社歴をもつ。…
※「RCA」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新