スコベレフ(その他表記)Skobelev, Mikhail Dmitrievich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スコベレフ」の意味・わかりやすい解説

スコベレフ
Skobelev, Mikhail Dmitrievich

[生]1843.9.29. ペテルブルグ
[没]1882.7.7. モスクワ
ロシアの軍人。 1873年 K.P.カウフマン将軍のヒバ遠征に参加,ヒバ・ハン国をロシアに併合。 73~76年にはコカンド・ハン国の反乱を鎮圧し,フェルガナ地方最初の総督としてツァーリ政府の中央アジア植民化政策を推し進めた。 77~78年の露土戦争ではサンステファノを奪取するなど活躍し,その武勇のゆえにロシアおよびブルガリアで英雄とたたえられた。 80~81年再度中央アジア遠征を行い,トルクメンを征服。 82年ドイツ,オーストリアのバルカン進出に反対し,汎スラブ主義の立場から対ドイツ積極策を唱えて,皇帝アレクサンドル3世により罷免され,まもなく死没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スコベレフ」の意味・わかりやすい解説

スコベレフ
すこべれふ
Михаил Дмитриевич Скобелев/Mihail Dmitrievich Skobelev
(1843―1882)

ロシアの将軍。ペテルブルグの軍人の家に生まれる。1868年陸軍大学を卒業。73年のヒバ・ハン国遠征、73~76年のコーカンド・ハン国の蜂起(ほうき)鎮圧に参加。76年2月よりフェルガナ州総督。ロシア・トルコ戦争(1877~78)に際してはプレブナPlevnaの戦いで勇名を馳(は)せた。82年1月、パリで、バルカンの諸民族を擁護し、オーストリア・ハンガリー帝国を攻撃する演説をしたことから国際的紛糾を惹起(じゃっき)し、アレクサンドル3世によりロシアに召還され、その後まもなくモスクワで急逝した。

[外川継男]

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367日誕生日大事典 「スコベレフ」の解説

スコベレフ

生年月日:1843年9月17日
ロシアの将軍
1882年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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