タルバーグ(英語表記)Irving Thalberg

改訂新版 世界大百科事典 「タルバーグ」の意味・わかりやすい解説

タルバーグ
Irving Thalberg
生没年:1899-1936

アメリカの映画製作者。ハリウッドの〈タイクーン帝王)〉と呼ばれた実力者のなかでも際だった才能を見せた。ユダヤ系ドイツ人の両親の下にニューヨークのブルックリンに生まれる。ユニバーサルの創立者カール・レムリの秘書をへてルイス・B.メイヤーのもとでMGMの製作担当となり,ミュージカル映画の製作の着想など,MGMの黄金期の業績はタルバーグの創造的才能によるところ多大であるとされている。地位権力によって〈君臨〉した他の〈タイクーン〉とは異なり,たとえば《グリード》(1924)をめぐって監督のシュトロハイムと対決して編集権は製作者にあることを論理的に主張する一方,《ビッグ・パレード》(1925)の製作には費用を惜しまず,監督のキング・ビダーにスペクタクル場面を追加撮影させたりして,〈タルバーグは映画をつくるのではなく,映画をつくり直すのだ〉といわれた。製作者として近代的合理主義を貫き,これ見よがしにクレジットタイトルに名まえを出したことはなく,死後公開された《大地》(1937)の冒頭に〈故アービング・タルバーグの霊に捧ぐ〉とたたえられたのがタイトルにその名が出たただ1本の映画である。なお,スコット・フィッツジェラルド小説《クレイジー・サンデーズ》(1932)のマイルズ・コールマン,同《ラスト・タイクーン》(1941)のモンロー・スターのモデルは彼であるといわれる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のタルバーグの言及

【ミュージカル映画】より


[ミュージカル映画の誕生]
 1920年代の初めにレコードを通じて全米のアイドルとなっていたアル・ジョルスンAl Jolson(1886‐1950)が,ワーナー・ブラザースの実験的なサウンド短編《エープリル・シャワーズ》(1926)につづく《ジャズ・シンガー》(1927)で《マイ・マミー》や《ブルー・スカイ》を歌ったとき,〈トーキー映画〉と〈ミュージカル映画〉が同時に誕生した。その後,ミュージカル映画はハリウッドの各社で次々につくられたが,そのなかで,MGMのアービング・タルバーグが2人の若いソング・ライター,すなわち作詞家のアーサー・フリード(1894‐1973)と作曲家のナシオ・ハーブ・ブラウン(1896‐1964)のコンビを起用してオリジナル・ナンバーを書かせ,ハリー・ボーモント監督により〈100%オール・トーキング,100%オール・シンギング,100%オール・ダンシング〉といううたい文句で製作してアカデミー作品賞を受賞した《ブロードウェイ・メロディー》(1929)が,初期のミュージカル映画の原型とされる(のち〈MGMミュージカル〉のシンボルの一つにすらなった名曲《雨に唄えば》もこの作品のナンバーの一つであった)。この成功に刺激されて,ワーナー・ブラザースの《ブロードウェイの黄金時代》(1929),ユニバーサルの《キング・オヴ・ジャズ》(1930),フォックスの《フォックス・ムービートン・フォリーズ》(1930),パラマウントの《パラマウント・オン・パレード》(1930)など,〈バックステージもの〉(舞台裏を描いたミュージカル)やレビュー形式のミュージカル映画が数多くつくられ,ひたすら華麗に見せる現実逃避的な内容は大同小異ではあったが,不況下の観客に夢をあたえた。…

※「タルバーグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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