タレントゥム(読み)たれんとぅむ(英語表記)Tarentum

山川 世界史小辞典 改訂新版 「タレントゥム」の解説

タレントゥム
Tarentum

イタリア南東部の港市スパルタ植民市タラスとして前8世紀の終りに建設され,前5~前4世紀にマグナ・グラエキアの指導都市として栄えた。前282年エピルス王ピュロス援助ローマと戦ったが,前272年敗れ,ローマの支配下に入った。第2次ポエニ戦争ではハンニバルに占領された。中世には一時イスラーム教徒に破壊されたが,ただちに回復,繁栄した。第二次世界大戦ではイタリア艦隊の根拠地のため大被害を受けた。

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百科事典マイペディア 「タレントゥム」の意味・わかりやすい解説

タレントゥム

イタリア南東部のスパルタの植民市。ギリシア名タラスTaras。前8世紀末に建設され,前5―前4世紀マグナ・グラエキアの指導都市として栄えたが,前272年ローマに敗れ,その支配下に入った。現名ターラント

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タレントゥム」の意味・わかりやすい解説

タレントゥム
たれんとぅむ
Tarentum

イタリア南部、プーリア州の工業都市タラントラテン語による古称

[編集部]

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旺文社世界史事典 三訂版 「タレントゥム」の解説

タレントゥム
Tarentum

イタリア半島南東部に前700年ごろ建設されたスパルタの植民市
商工業によって早くから富裕をもって知られ,前4世紀にはマグナ−グラエキアの指導都市として栄えた。前272年エピルス王ピロスの援助を得てローマと戦って敗れ,占領された。現在はタラントといい,港湾都市である。

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世界大百科事典(旧版)内のタレントゥムの言及

【ターラント】より

…その発展は著しく,南イタリアで最も重要なギリシア植民都市となった。前280年にローマに征服されタレントゥムTarentumと呼ばれたが,ギリシア語やその文化は長い間保たれた。ローマ帝国崩壊後は蛮族の侵入を被り,ランゴバルド族とビザンティン帝国の争いの的となり,その後,アラブ,ノルマンと次々と支配者が交替し,15世紀にアラゴン王家のフェルディナンドによってナポリ王国に統合されたが,しだいに停滞に陥った。…

※「タレントゥム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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