改訂新版 世界大百科事典 「ターラント」の意味・わかりやすい解説
ターラント
Taranto
イタリア南部,プーリア州の同名県の県都。人口19万7582(2005)。ターラント湾の北隅に位置する工業都市。湾の奥の小さな潟をふさぐように浮かんでいる島(もとは半島で,16世紀に水路によって切断された)が旧市街を構成し,その東西の本土に広がる近代的な新市街と対照をなしている。かなり古い時代からギリシア人と交易していた集落の存在が確かめられているが,前8世紀末に,スパルタ人が植民都市を建設し,タラスと名づけられた。その発展は著しく,南イタリアで最も重要なギリシア植民都市となった。前280年にローマに征服されタレントゥムTarentumと呼ばれたが,ギリシア語やその文化は長い間保たれた。ローマ帝国崩壊後は蛮族の侵入を被り,ランゴバルド族とビザンティン帝国の争いの的となり,その後,アラブ,ノルマンと次々と支配者が交替し,15世紀にアラゴン王家のフェルディナンドによってナポリ王国に統合されたが,しだいに停滞に陥った。19世紀半ばのイタリア統一時には,漁業や農業を基盤としたさびれた町にすぎなかったが,1880年にイタリア海軍の基地がつくられてから急速に人口増大と都市化が進み,都市域は島の外,本土へ広がった。さらに造船所の建設がそれに拍車をかけた。第2次大戦後は,とりわけ1960年以後の南部工業化政策の重要な拠点のひとつとなり,近代的な大製鉄所が建設され,機械金属,セメント,化学など重工業の誘致が進み,経済開発の遅れた南部にあって,同じプーリア州のバーリ,ブリンディジとともに重要な工業地域を形成しているが,工場が排出する煤煙,汚水による大気や海洋汚染が問題となっている。旧市街にあたる島は,中世の面影が色濃く,12世紀ころ建立された大聖堂や15~16世紀の城塞などが残っており,島と旋開橋で結ばれた東側の本土の新市街は碁盤目状に広い街路が整えられ,近代的な姿を見せている。工場地域は西側の本土に集中している。
執筆者:萩原 愛一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報