ダドラン司教(読み)ダドランしきょう(その他表記)d'Adran, Evêque

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダドラン司教」の意味・わかりやすい解説

ダドラン司教
ダドランしきょう
d'Adran, Evêque

[生]1741.11.2. フランス,ベエヌ
[没]1799. ベトナム,ピンティン
パリ外国宣教会所属のフランス人カトリック宣教師。正しくはアドラン司教。本名 Pierre-Joseph Pigneau。 1765年コーチシナへおもむき布教。 70年アドランの名義司教,71年コーチシナの教皇代理に任じられた。タイソン党の乱に追われた阮福映 (阮朝聖祖) と意気投合,仏越攻守同盟条約締結に尽力した。のちフランスがこの条約を履行しなかったので,みずから義勇軍を率いて,阮の王位回復戦を助け,ベトナム帝国成立に協力し,あわせてキリスト教を普及せしめた。タイソン党の本拠攻略中陣没した。ベトナム名,百多禄。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む