野呂元丈(読み)ノロゲンジョウ

デジタル大辞泉 「野呂元丈」の意味・読み・例文・類語

のろ‐げんじょう〔‐ゲンヂヤウ〕【野呂元丈】

[1694~1761]江戸中期の本草学者。伊勢の人。本姓は高橋、名は実夫。儒学医学本草学を学び、幕府採薬御用で各地を旅行。参府のオランダ人に質問し、「阿蘭陀本草和解」を著した。

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精選版 日本国語大辞典 「野呂元丈」の意味・読み・例文・類語

のろ‐げんじょう【野呂元丈】

  1. 江戸中期の医者、本草家。本名実夫。号は連山。通称源次。元丈は字(あざな)。伊勢国(三重県)の人。医学、儒学、本草学を修め、幕府の命で各地で薬草採集。八代将軍吉宗の命で青木昆陽とともにオランダ薬物の研究をし「阿蘭陀本草和解」を著した。蘭学先駆者。元祿六~宝暦一一年(一六九三‐一七六一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野呂元丈」の意味・わかりやすい解説

野呂元丈
のろげんじょう
(1693―1761)

江戸中期の本草(ほんぞう)学者。医官。伊勢(いせ)国(三重県)の人。本草を稲生若水(いのうじゃくすい)、医術山脇玄修(やまわきげんしゅう)(1654―1727)に学ぶ。1720年(享保5)幕命で丹羽正伯(にわしょうはく)と諸国を採薬。1739年(元文4)幕府医官となる。翌1740年将軍徳川吉宗(よしむね)の命で青木昆陽(こんよう)とオランダ使節に随行した通詞に蘭学(らんがく)を学ぶ。蘭医ムスクルスPhilip Pieter Musculusに本草について質問し、通詞の助力ドドネウスRembertus Dodonaeus(1517/1518―1585)著の本草書を訳述し『阿蘭陀本草和解(おらんだほんぞうわげ)』2冊を著し、西洋本草の先行文献となった(1744年ころ)。なおヨンストンJohannes Jonston(1603―1675)著の訳書『阿蘭陀禽獣虫魚図和解(きんじゅうちゅうぎょずわげ)』は博物書である。

[根本曽代子]

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改訂新版 世界大百科事典 「野呂元丈」の意味・わかりやすい解説

野呂元丈 (のろげんじょう)
生没年:1693-1761(元禄6-宝暦11)

江戸中期の医家,本草家。伊勢国松坂在の地士高橋家の次男に生まれ,20歳で父の従兄医師野呂家の養子となった。名は実夫,通称は源次,連山と号した。京都に上り医を山脇玄修(道立),儒を並河天民,本草を稲生若水に学び,幕府の国産薬種資源調査の政策を受けて1719年(享保4)江戸に出て採薬御用となり,若水門の同学丹羽正伯とともに日光ほか関東一円,さらに中部,北陸,近畿各地で採薬に従事,34年には伊豆七島にも及んで,同年宅地を江戸紀国橋の傍らに賜った。39年(元文4)御目見医師となり,翌年将軍吉宗の命で青木昆陽とともにオランダ語を学習,江戸参府の商館長,医師らに毎年接してJ.ヨンストンの動植物図譜をもとに《阿蘭陀禽獣虫魚図和解》(1741)を,またオランダの植物学者であり医者のドドネウスRembert Dodonaeus(1516-85)の本草書をもとに《阿蘭陀本草和解》(1741-50)を撰訳した。46年(延享3)寄合医師となり200俵を賜禄された。その他の著書として《狂犬咬傷治方》(1736)ほかがあり,山脇東洋の《外台秘要方》の重刻に協力,その後序を書いている。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「野呂元丈」の解説

野呂元丈

没年:宝暦11.7.6(1761.8.6)
生年:元禄6.12.20(1694.1.15)
江戸中期の医者,本草学者,蘭学者。伊勢国(三重県)多気郡勢和村の生まれ。幼名は源次,名は実夫,元丈は字,号は連山。高橋重英の次男であるが,正徳2(1712)年野呂実雄(三省)の養子となった。同年京都に出て,医学を山脇道立(玄修)に,儒学を並河天民に,本草学を稲生若水に学んだ。享保4(1719)年幕府より採薬御用の命で出府し,官医丹羽正伯と共に諸国に採薬した。同9年屋敷を拝領。元文4(1739)年御目見医師,延享4(1747)年寄合医師となった。 元文5年将軍徳川吉宗から命を受けて青木昆陽と共にオランダ語の学習を開始。毎春のオランダ商館長一行の江戸参府時に定宿の長崎屋を訪問し,通詞を介して教示を受けた。ドドネウス『草木誌』,ヨンストン『動物図説』の内容を質疑し,『阿蘭陀禽獣虫魚図和解』1冊,『辛酉阿蘭陀本草之内御用ニ付承合候和解』1冊,『阿蘭陀本草和解』8冊を著した。実に寛保1(1741)年から寛延3(1750)年におよぶ10年がかりの仕事であった。草創期の蘭学者青木昆陽と共にオランダ書籍解読および西洋本草学受容の先駆けとなり,蘭学興隆の基礎を築いた人であった。墓は泉岳寺(東京都港区)。著書に寛延1年来聘の朝鮮通信使との医事問答『朝鮮筆談』,『狂犬咬傷治方』『仏足石碑并記』『妙高山温泉記』『救荒本草並野譜』『連山草木志』『北陸方物』などがある。<参考文献>大西源一『野呂元丈伝』

(吉田厚子)

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百科事典マイペディア 「野呂元丈」の意味・わかりやすい解説

野呂元丈【のろげんじょう】

江戸中期の本草学者。名は実夫,号は連山。伊勢の人。稲生若水に学び,各地で採薬。幕命により青木昆陽とともにオランダ語を学び,江戸参府のオランダ人に質問して《阿蘭陀禽獣虫魚和解(オランダきんじゅうちゅうぎょわげ)》や〈壬戌(じんじゅつ)阿蘭陀本草和解〉を著し,西洋博物学を初めて紹介した。1747年寄合医師の一人となる。
→関連項目稲生若水

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野呂元丈」の意味・わかりやすい解説

野呂元丈
のろげんじょう

[生]元禄6 (1693).伊勢
[没]宝暦11 (1761).7.4.
江戸時代中期の本草学者。名は実夫,通称源次,号は連山。父は高橋善太郎。野呂三省の養子。京都に出て医学を山脇玄修に,儒学を並河天民,本草学を稲生若水に学んだ。享保5(1720)年幕府採薬御用となり各地を採集旅行した。元文5(1740)年将軍徳川吉宗の命により,青木昆陽とともにオランダ語を学び,毎年江戸参府のオランダ人と対談し,蘭書『本草図譜』を研究,『阿蘭陀本草和解』を著した。そのほか『狂犬咬傷治方』『仏足石碑考』などの著書がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「野呂元丈」の解説

野呂元丈
のろげんじょう

1693.12.20~1761.7.6

江戸中期の本草学者。名は実夫。元丈は字。伊勢国生れ。京都の山脇玄修(げんしゅう)に医学を,並河天民(てんみん)に古学を,稲生若水(いのうじゃくすい)に本草学を学ぶ。1719年(享保4)幕府の採薬御用を命じられ,各地に採薬。40年(元文5)青木昆陽(こんよう)とともに将軍徳川吉宗からオランダ語学習の内旨をうけ,江戸参府ごとにオランダ通詞を介してオランダ本草について質疑した。「阿蘭陀禽獣虫魚図和解」「阿蘭陀本草和解」などを著し,蘭学興隆の基礎をなした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野呂元丈」の解説

野呂元丈 のろ-げんじょう

1694*-1761 江戸時代中期の医師,本草家。
元禄(げんろく)6年12月20日生まれ。儒学を並河天民,医学を山脇玄修,本草学を稲生若水(いのう-じゃくすい)にまなび,幕府の御目見医師,寄合医師となる。江戸参府のオランダ人医師や通詞(つうじ)に接して「阿蘭陀(オランダ)本草和解(わげ)」などを翻訳した。宝暦11年7月6日死去。69歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。本姓は高橋。名は実夫。号は連山。

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旺文社日本史事典 三訂版 「野呂元丈」の解説

野呂元丈
のろげんじょう

1693〜1761
江戸中期の本草学者・医者で,蘭学発達の先駆者
伊勢(三重県)の人。京都に出て,医学を山脇玄修,儒学を並河天民 (てんみん) ,本草学を稲生若水に学んだ。1720年幕府の命で薬草採集に各地を行脚 (あんぎや) 。のち幕府の医官となり青木昆陽とともにオランダ語を学び,日本最初の西洋本草学書『阿蘭陀 (オランダ) 本草和解』12巻を著した。

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367日誕生日大事典 「野呂元丈」の解説

野呂元丈 (のろげんじょう)

生年月日:1693年12月20日
江戸時代中期の医師;本草学者;蘭学者
1761年没

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世界大百科事典(旧版)内の野呂元丈の言及

【ヨンストン】より

…江戸時代,ヨンストンの《鳥獣虫魚図譜》(1660)の蘭訳本が日本に舶来した。幕府の医官野呂元丈は,通詞の通訳で,この本の内容について質問し,1741年(寛保1)に《阿蘭陀禽獣虫魚図和解(オランダきんじゆうちゆうぎよずわげ)》1冊をつくった。《鳥獣虫魚図譜》は日本の博物学にあまり役だたなかったが,その図が模写され,洋風画の発達には貢献した。…

※「野呂元丈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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