江戸中期の本草(ほんぞう)学者。医官。伊勢(いせ)国(三重県)の人。本草を稲生若水(いのうじゃくすい)、医術を山脇玄修(やまわきげんしゅう)(1654―1727)に学ぶ。1720年(享保5)幕命で丹羽正伯(にわしょうはく)と諸国を採薬。1739年(元文4)幕府医官となる。翌1740年将軍徳川吉宗(よしむね)の命で青木昆陽(こんよう)とオランダ使節に随行した通詞に蘭学(らんがく)を学ぶ。蘭医ムスクルスPhilip Pieter Musculusに本草について質問し、通詞の助力でドドネウスRembertus Dodonaeus(1517/1518―1585)著の本草書を訳述し『阿蘭陀本草和解(おらんだほんぞうわげ)』2冊を著し、西洋本草の先行文献となった(1744年ころ)。なおヨンストンJohannes Jonston(1603―1675)著の訳書『阿蘭陀禽獣虫魚図和解(きんじゅうちゅうぎょずわげ)』は博物書である。
[根本曽代子]
江戸中期の医家,本草家。伊勢国松坂在の地士高橋家の次男に生まれ,20歳で父の従兄の医師野呂家の養子となった。名は実夫,通称は源次,連山と号した。京都に上り医を山脇玄修(道立),儒を並河天民,本草を稲生若水に学び,幕府の国産薬種資源調査の政策を受けて1719年(享保4)江戸に出て採薬御用となり,若水門の同学丹羽正伯とともに日光ほか関東一円,さらに中部,北陸,近畿各地で採薬に従事,34年には伊豆七島にも及んで,同年宅地を江戸紀国橋の傍らに賜った。39年(元文4)御目見医師となり,翌年将軍吉宗の命で青木昆陽とともにオランダ語を学習,江戸参府の商館長,医師らに毎年接してJ.ヨンストンの動植物図譜をもとに《阿蘭陀禽獣虫魚図和解》(1741)を,またオランダの植物学者であり医者のドドネウスRembert Dodonaeus(1516-85)の本草書をもとに《阿蘭陀本草和解》(1741-50)を撰訳した。46年(延享3)寄合医師となり200俵を賜禄された。その他の著書として《狂犬咬傷治方》(1736)ほかがあり,山脇東洋の《外台秘要方》の重刻に協力,その後序を書いている。
執筆者:宗田 一
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(吉田厚子)
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1693.12.20~1761.7.6
江戸中期の本草学者。名は実夫。元丈は字。伊勢国生れ。京都の山脇玄修(げんしゅう)に医学を,並河天民(てんみん)に古学を,稲生若水(いのうじゃくすい)に本草学を学ぶ。1719年(享保4)幕府の採薬御用を命じられ,各地に採薬。40年(元文5)青木昆陽(こんよう)とともに将軍徳川吉宗からオランダ語学習の内旨をうけ,江戸参府ごとにオランダ通詞を介してオランダ本草について質疑した。「阿蘭陀禽獣虫魚図和解」「阿蘭陀本草和解」などを著し,蘭学興隆の基礎をなした。
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…江戸時代,ヨンストンの《鳥獣虫魚図譜》(1660)の蘭訳本が日本に舶来した。幕府の医官野呂元丈は,通詞の通訳で,この本の内容について質問し,1741年(寛保1)に《阿蘭陀禽獣虫魚図和解(オランダきんじゆうちゆうぎよずわげ)》1冊をつくった。《鳥獣虫魚図譜》は日本の博物学にあまり役だたなかったが,その図が模写され,洋風画の発達には貢献した。…
※「野呂元丈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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