ビブリオテークナシヨナル(英語表記)Bibliothèque nationale

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ビブリオテーク・ナシヨナル
Bibliothèque nationale

フランス王室の図書室に起源を発する図書館。1926年までは,18世紀にド・ポルミー侯爵がアンリ4世の重臣で兵器厰(アルスナル)をまかされていたシュリーの屋敷跡につくった文学を中心としたアルスナル図書館や,オペラ座図書館,国立高等音楽院(コンセルバトアール)図書館と並ぶ国立図書館であったが,同年これらをまとめ〈国立図書館連合〉として文部省の管轄下に置かれた。81年にこの4図書館はビブリオテーク・ナシヨナルに統一され,文化省に属することになったが,それぞれ〈デパルトマン〉と呼ばれる12のセクションに分けられる。そのうち印刷物のデパルトマンは収書部Entrées,印刷本部Imprimés(1741),政府刊行物部(1950),定期刊行物部(1945),アルスナル図書館部の五つで,ほかに地図部(1828),版画・写真部(1667),写本部,古銭部(1741),楽譜部(1935),録音・視聴覚部(1963),演劇部(1976)の特殊デパルトマン7がある(かっこ内は開設年)。写本部は西欧セクションと東洋セクションに分かれ,古写本から現代作家や学者原稿や手紙もここに受け入れられる。

 フランス王室の図書室はルイ9世(聖王)までさかのぼることができ,それ以前のカール大帝の息子,ルイ敬虔王所蔵の写本もビブリオテーク・ナシヨナルに現存するが,一般にはシャルル5世の収書が起源とされる。国の内外から善本を集め,ブルボン家が2世紀間に集めた蔵書を1523年に没収し,祖父ジャン・ル・ボンと父シャルル・ダングーレームの蔵書に加え,フォンテンブロー宮殿に特にギリシア語写本を集めさせたフランソア1世は,さらに1544年ブロア城から1890冊の図書をフォンテンブローに運ばせて,ヨーロッパ随一の図書館をつくった。ギリシア学者G.ビュデ司書長にE.ロッフェを製本師長に任命したフランソア1世は,1573年モンペリエの勅令で印刷本の納本制度をつくって領土内で印刷された本を集め,ビブリオテーク・ナシヨナルの基礎を確立した。

 フランソア1世の嗣子アンリ2世も立派な装丁を愛する集書家であった。続くシャルル9世,アンリ3世は集書に関心を示さなかったが,シャルル9世はフォンテンブロー宮殿の図書をパリに移した。アンリ4世はカトリーヌ・ド・メディシスの古写本の収集を王室図書館に加え,サン・ドニ修道院からカール禿頭王所蔵であった聖書を買っている。ルイ14世とJ.B.コルベールも集書に努力し東洋の写本,文献も集まるようになった。J.deテブノ,リュカ,《千夜一夜物語》の翻訳で知られるA.ガランらの蔵書も王室図書館に入った。1684年から1718年に死ぬまで図書館を管理したルーボア神父は写本300冊を遺贈し,1719年にはC.ソーメーズのノートと写本630,B.バリューズの集めた写本957,古文書700,原稿7笥が購入された。21年には現在の場所に写本部印刷本部,証書部,版画部が置かれた。コルベールのつくった東インド会社は23年中国から漢籍1800部を7箱に詰めて贈ったという。

 フランス革命で修道院や亡命貴族の蔵書が没収され,パリで9ヵ所ほど設けられた場所に集められ,その膨大な写本,図書が王立から国立となったビブリオテーク・ナヨナルに入ったが,92年家系図を含む文書はバンドーム広場で焼かれ,3500箱のうち残ったのは1500箱であったといわれる。東洋学者シルベストル・ド・サシはポアリエ師と協力しサン・ジェルマン・デ・プレ教会の蔵書から東洋語写本880,ギリシア語写本400,ラテン語写本1800を含む9000点とベネディクト会修道士の原稿や使った文献をビブリオテーク・ナシヨナルに入れた。革命後,学士院はベネディクト会のサン・モール会の学僧の仕事を継続しようとして専門家の不足に気づき,集まった膨大な古文書の整理をするためもあり,専門家の養成のため古文書学校を開くことをナポレオンに願い出た。1807年の勅令がモスクワ遠征途上から出されたが,政治の混乱で実現は21年の王令を待たねばならなかった。設立された〈古文書学校École des Chartes〉からは多くの書誌学者,歴史家,文献学者が育ち,ビブリオテーク・ナシヨナルの整備も進んだ。

 印刷本と写本のカタログはN.リゴー,ソーメーズ,ユタンが1622年につくったが,写本カタログは45年にデュピュイ兄弟が増補改定し,N.クレマンがその後の基礎となる分類をつくった。クレマンの番号では1から1636が東洋語写本,1801~3538がギリシア語写本,3561~6700がラテン語写本,6701~10542がフランス語および近代ヨーロッパ語写本で,P.パリスの著名な《王室図書館写本解題》をはじめ,多くの19世紀の研究書はクレマンの整理番号を使っている。これは19世紀末に新しい番号に再整理された。パリス,メオン,オモン,L.ドリールら,多くの学者はビブリオテーク・ナシヨナルの司書であった。

 連続する丸天井で印象的な現在の印刷本閲覧室は,1854年からラブルーストとパスカルが建てたもので,68年に公開された。印刷本カタログは97年から刊行されている。毎年増える蔵書のためベルサイユに別館が置かれ,種々の改革が1930年代にJ.カンがつくった改革案を基礎に進められている。
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百科事典マイペディア の解説

ビブリオテーク・ナシヨナル

パリにあるフランスの国立図書館。前身は王室図書館で,一般に14世紀のシャルル5世の収書が起源といわれる。その後王室に集められた膨大な蔵書がフランス革命とともに国立図書館となった。1981年にはアルスナル図書館,オペラ座図書館,国立高等音楽院(コンセルバトアール)図書館の3国立図書館とともにビブリオテーク・ナシヨナルに統一され,文化省に属することになった。1996年12月,パリ南東部(13区)のセーヌ河畔にフランソア・ミッテランの名を冠した新館(設計D.ペロー)が開館。
→関連項目ビラール・ド・オヌクール

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世界大百科事典(旧版)内のビブリオテークナシヨナルの言及

【ラブルースト】より

…周囲の新古典主義的作風に反対して,南イタリアに点在する古代ギリシアの遺跡に強く引かれ,〈ネオ・グレコ〉と呼ばれる新しい潮流をつくり出した。若い頃は長老たちの占める美術アカデミーとそりが合わず,仕事も少なかったが,後にパリのサント・ジュヌビエーブ図書館Bibliothèque Sainte‐Geneviève(1850)やビブリオテーク・ナシヨナル(1875)を設計する。ともに外部を簡素な構成とする反面,内部には鋳鉄や鉄骨を大胆に用い,明敏で軽快な空間をつくり上げた。…

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