ラペルーズ(その他表記)Jean François de Galaup, comte de La Pérouse

改訂新版 世界大百科事典 「ラペルーズ」の意味・わかりやすい解説

ラ・ペルーズ
Jean François de Galaup, comte de La Pérouse
生没年:1741-88

フランス太平洋探検家。1756年海軍に入り,七年戦争に参加,76-78年アメリカ独立革命に遠征した。85年ルイ16世に太平洋側からの北西航路の発見と太平洋調査を命ぜられ,フランスのブレスト港を出帆した。南アメリカ大陸を周航し,ハワイからアラスカまで北上後,北米沿岸をカリフォルニアまで南下し,ついで太平洋を横断して87年マカオに入った。再び北上して対馬海峡,日本海,間宮海峡まで行ったのち,ラ・ペルーズ海峡宗谷海峡)を通過してカムチャツカに達した。それより南下してサモアを経て,88年オーストラリアのシドニーに入り,同年3月にシドニーを出港してのち消息を絶った。1827年にイギリス人ピーター・ディロンがサンタ・クルーズ諸島のバニコロ島でラ・ペルーズ一行の遺品の一部を発見,その翌年にはフランスの探検家デュモン・デュルビルが船体の一部を発見した。さらに1964年にも多数の遺品が発見されている。ラ・ペルーズが本国に送っていた航海日誌を編集した《世界周航記》が1797年に出版されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラペルーズ」の意味・わかりやすい解説

ラ・ペルーズ
らぺるーず
Jean-François de Galaup, Comte de La Pérouse
(1741―1788?)

フランスの海軍軍人、海洋探検家。宗谷海峡(そうやかいきょう)(ラ・ペルーズ海峡)の発見者。ルイ16世の命でフランス政府派遣の探検隊長となり、太平洋諸海域の探検を行った。目的は地理的探検と、太平洋からのいわゆる「北西航路」の発見であった。1785年8月、フリゲート艦ラ・ブソル号とラ・アストロラーブ号を率いてブレストを出港した。北はアラスカ、カムチャツカ半島沿岸、東はカリフォルニア沿岸、西は日本海、沿海州沿岸を含む日本近海、フィリピン諸島、マカオ(澳門)、サンドイッチ諸島(ハワイ諸島)に及ぶ太平洋の広大な海域を探検した。とくに注目されるのは1787年、北海道と樺太(からふと)(サハリン)を分けるラ・ペルーズ海峡の発見である。1788年1月、オーストラリア、シドニー南縁のボタニー湾からの連絡を最後に消息を断った。両艦は1828年になって、サンタ・クルーズ諸島のバニコロ礁で難破しているのが発見された。あらかじめ本国に送られていた資料、ノートによって『世界周航記』(1797)が編纂(へんさん)されている。

[半澤正男]

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百科事典マイペディア 「ラペルーズ」の意味・わかりやすい解説

ラ・ペルーズ

フランスの海洋探検家。1785年太平洋側からの北西航路の発見と太平洋調査を命じられて出発,アラスカ,ハワイ,マカオ,フィリピン,日本,沿海州をめぐって宗谷海峡(ラ・ペルーズ海峡)を通り,カムチャツカに達した。さらにここから南下し,サモア諸島を経て,1788年1月オーストラリア東岸のボタニー湾に到達したが,のち消息を絶った。1828年デュモン・デュルビルによりその船体の一部が発見された。著書《世界周航記》(1797年)。
→関連項目レセップス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラペルーズ」の意味・わかりやすい解説

ラ・ペルーズ
La Pérouse, Jean-François de Galaup, Comte de

[生]1741.8.22. アルビ近郊ルグオ
[没]1788頃
フランスの航海者。国王ルイ 16世の命令で 1785年探検旅行に出発,ブレストからパーク島 (チリの西) ,ハワイ諸島を経て翌年 11月ネッケル島に到達。次いでマカオ,フィリピン,日本を経由して北海道とサハリン間の海峡を踏査。その後,中部太平洋のトンガ諸島に南下し,ニューヘブリディーズ諸島の北で消息を絶った。バニコロ島で先住民に殺害されたと推測される。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ラペルーズ」の解説

ラ=ペルーズ La Pérouse, Jean François

1741-1788? フランスの軍人,探検家。
1741年8月21日生まれ。海軍士官。1785年国王ルイ16世の命令でアジア東北岸を探検。太平洋を横断し,対馬(つしま)海峡をとおり日本海を北上,1787年間宮海峡の最狭部にいたったのち南下して宗谷海峡(ラ=ペルーズ海峡)を通過,カムチャツカ半島に到達した。1788年オーストラリアのシドニーを出航後,消息をたった。

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世界大百科事典(旧版)内のラペルーズの言及

【オセアニア】より

…ミクロネシアのマーシャル諸島は発見が1520年代ときわめて早いが,2世紀ほどの間忘れ去られてしまう。
[領有の時代]
 単なる通商路の発見や特産物探しの時代に終止符を打ったのは,クック(1769‐79年に3回の大航海)に代表されるイギリスの進出であり,フランスではラ・ペルーズ(1785‐88年の航海)が糸口をつくった。そして1788年,オーストラリアのポート・ジャクソン(シドニー)に植民地を開いたイギリスが,オセアニア地域の主導権を握ることになった。…

【フランス】より

…この頃には日本の工芸品がヨーロッパの宮廷で珍重され,マリー・アントアネットやポンパドゥール夫人らの周辺には漆器,象嵌の屛風,陶器や蒔絵の手箱がオランダ経由でもたらされ,茶の消費も増大し,日本への関心が高まった。 フランス革命の2年前の1787年ルイ16世の命を受けたラ・ペルーズは日本近海を測量して宗谷海峡を発見し,ラ・ペルーズ海峡と命名した。彼は北海道に上陸し,3日を過ごしている。…

※「ラペルーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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