日本大百科全書(ニッポニカ) 「チソンデツェン」の意味・わかりやすい解説
チソンデツェン
ちそんでつぇん
Khri srong lde btsan
(742―797)
古代チベット王国(吐蕃(とばん))の絶頂期を確立し、仏教を正式に導入した王(在位754~797)。殺害された父ティデツクツェン王(在位704~754)にかわって13歳で即位し、諸氏族の軋轢(あつれき)のなかで敵対勢力をそぎ、761年には仏教を正式導入する決意を固めて、諸氏族の統制をとった。安史の乱後の混乱に乗じて、763年には長安に侵入し、775年にはサムエ寺の定礎を行う。779年にはチベット人最初の出家となる「試みの6人」が出家し、仏典のチベット訳の事業も始まり、国家仏教の基礎が整った。783年には唐と建中会盟の和議を結んだが、786/787年には敦煌(とんこう)を陥落させて河西(かせい)一帯を支配し、以後半世紀間の繁栄を導いた。
[原田 覺 2017年4月18日]
『佐藤長著『古代チベット史研究 下』(1959・東洋史研究会)』▽『山口瑞鳳著『チベット仏教』(『講座 東洋思想5』所収・1967・東京大学出版会)』