ツェトキーン(英語表記)Clara Zetkin

改訂新版 世界大百科事典 「ツェトキーン」の意味・わかりやすい解説

ツェトキーン
Clara Zetkin
生没年:1857-1933

ドイツの社会主義者,女性解放運動家。農村教師の家庭に育つがこれと断絶して1878年にドイツ社会民主党入党。《現在の女性労働者および女性の問題》(1889)でプロレタリア女性解放運動の指針を示し,91年,女性労働者のための雑誌《平等》の創刊とともに編集を担当,1907年には第1回国際婦人会議の中心的存在となるなど,とくに女性の解放に力を尽くした。同時に,社会民主党や第二インターナショナルの左派として活躍,1919年ドイツ共産党に正式参加,やがて重要な役割を演じた。21年以降コミンテルンの執行委員会およびその議長団の一員を務め,24年に国際婦人局が設置されるとその責任者となった。32年,国会の最年長議員として開会宣言ファシズムに対する闘争を呼びかけた。亡命後,モスクワ郊外で病死
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百科事典マイペディア 「ツェトキーン」の意味・わかりやすい解説

ツェトキーン

ドイツの婦人革命家。ドイツ社会民主党左派に属し,婦人運動に指導的役割を果たし,1907年第1回国際社会主義婦人会議開催を主導。ドイツ共産党創設に参加,1919年以後幹部会に属し,1924年コミンテルン婦人局長。

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世界大百科事典(旧版)内のツェトキーンの言及

【国際婦人デー】より

…国際社会主義労働運動の一環として創設された。1910年,第二インターナショナルの大会に先立って開かれた〈第2回国際社会主義婦人会議〉で,ドイツのクララ・ツェトキーンらによって提案され採択された決議文によれば,〈国際婦人デー〉は,(1)女性だけの運動ではなく,自国の労働者階級を代表する政治組織や労働組合組織といっしょに行われるものである,(2)女性の参政権をはじめとして,あらゆる女性の問題を社会主義の立場から取り上げる,(3)国際的な連帯のもとに行う,となっている。はじめ国によって異なっていた国際婦人デーが現在のように3月8日に統一されたのは,21年の〈第2回国際共産主義婦人会議〉においてであって,それは1917年3月8日(旧暦2月23日)にロシアのペトログラードで女性たちが国際婦人デーのストとデモを行い,二月革命のきっかけを作ったからである。…

※「ツェトキーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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