西川(読み)ニシカワ

デジタル大辞泉 「西川」の意味・読み・例文・類語

にしかわ【西川】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「西川」姓の人物
西川光二郎にしかわこうじろう
西川如見にしかわじょけん
西川祐信にしかわすけのぶ
西川扇蔵にしかわせんぞう

にし‐かわ【西川】[京都府の川]

京都の西を流れる桂川の異称。賀茂川を東川というのに対する。

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精選版 日本国語大辞典 「西川」の意味・読み・例文・類語

にし‐がわ‥がは【西川・西河】

  1. 平安京京都市)の西部を流れる桂川の異称。平安京の東側を流れる鴨川を東川というのに対していう。
    1. [初出の実例]「法皇にしかはにおはしましたりける日」(出典:古今和歌集(905‐914)雑体・一〇六七・詞書)

にしかわにしかは【西川】

  1. [ 一 ] 姓氏の一つ。
  2. [ 二 ] 日本舞踊の一流派の屋号の一つ。

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日本歴史地名大系 「西川」の解説

西川
にしかわ

鞍手くらて郡鞍手町南部の山地を水源として北に向かい、同町から遠賀町にかけて遠賀川の西側を北流し、芦屋あしや町の祇園ぎおん崎で遠賀川の河口部に注ぐ。一級河川。流路延長一六・七キロ(うち指定区間一一・二キロ)、流域面積四二・一平方キロ。遠賀町内では戸切とぎり川・まえ川・吉原よしわら川などが注ぐ。上流地域の水吐川であり、灌漑用水としても活用されてきた。「続風土記」には「西若松と鬼津との間に、西川と云川あり。是も潮満れは深し。舟にて渡る。此川鞍手郡新延古門下木月の三村より出る」とみえ、新延にのぶ村・古門ふるもん村・木月きづき(下木月村)など、現鞍手町南部の山間の水を集めて流れ下る川と理解されていた(現在は鞍手町室木が上流端)


西川
にしがわ

香美郡東南半一帯を荘域とした大忍おおさと庄の一地域の総称で、現香我美町北部、香北かほく町南部・物部ものべ村南西部の一部および安芸市北西端の一部にあたる。

嘉元三年(一三〇五)一二月日の大忍庄西川分行宗名宛行状(行宗文書)に「西川」とみえる。長禄二年(一四五八)四月二九日の岩開大郎衛門申入状(蠧簡集木屑)には「西河内岩開名」ともみえ、岩開いわかいは現香北町岩改いわかいにあたり、大忍庄の荘域判断の史料となっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西川」の意味・わかりやすい解説

西川(町)
にしかわ

山形県中央部、西村山郡の町。1954年(昭和29)西山、川土居(かわどい)、本道寺(ほんどうじ)、大井沢の4村が合併して成立。北を出羽(でわ)三山の主峰月山(がっさん)、西を朝日連峰の急峻(きゅうしゅん)な山地に囲まれた豪雪地帯。両山地に源を発する寒河江川(さがえがわ)が町の中央を貫流する。町域を東西に通じる国道112号(月山新道)の旧道六十里越はかつて出羽三山への登拝路で、沿道の本道寺、志津などは宿場町、宗教集落として栄えた。国道112号と併行して山形自動車道が走り、西川、月山の2インターチェンジが設置されている。米作のほか花卉(かき)・果樹栽培などが行われている。1990年(平成2)寒河江ダムが完成、ダム湖の月山湖の北方には月山弓張平(ゆみはりだいら)公園がつくられている。北部や南部の山地は磐梯朝日(ばんだいあさひ)国立公園域となっていて、月山志津温泉、月山スキー場、山形県立自然博物園、大井沢温泉、大井沢自然博物館などがある。月山神社出羽神社湯殿山神社摂社月山出羽湯殿山三神社社殿は国指定重要文化財。面積393.19平方キロメートル、人口4956(2020)。

[中川 重]

『『西川町史』上・下巻(1995・西川町)』



西川(旧町名)
にしかわ

新潟県の中北部、西蒲原郡(にしかんばらぐん)にあった旧町名(西川町(まち))。現在は、新潟(にいがた)市西蒲(にしかん)区の北部お占める一地区。旧西川町は1955年(昭和30)曽根(そね)町と鎧郷村が合併して西川町と改称。1961年升潟(ますがた)村と合併。2005年(平成17)新津(にいつ)市、白根(しろね)市、豊栄(とよさか)市、小須戸(こすど)町、横越(よこごし)町、亀田(かめだ)町、岩室(いわむろ)村、味方(あじかた)村、潟東(かたひがし)村、月潟(つきがた)村、中之口(なかのくち)村ともに新潟市に編入。鎧潟(よろいがた)の西潟端(かたばた)に位置する。近世は長岡藩の曽根組の代官所町として行政上の中心をなし、大正末までは西川舟運の河岸場(かしば)町として栄え、2、7の六斎市(ろくさいいち)もにぎわった。西蒲原穀倉地帯の西川米の集散地で、国の米穀倉庫もあった。第二次世界大戦後、鎧潟が干拓された。JR越後線(えちごせん)が通じ、国道116号の改修で、新潟の中心市街に20分で達せられるようになり、急激に住宅団地の造成が進み、ベッドタウンに変わりつつある。

[山崎久雄]


西川(川)
にしかわ

新潟県中央、西蒲原(にしかんばら)郡を貫流する信濃川(しなのがわ)三角州面の西側の分流。延長44.5キロメートル。州頂の新信濃川分水から本流と分かれて、蒲原砂丘裏のラグーンの沼沢地の水を集め、新潟市の平島(へいじま)で信濃川に合流する。近世は、沼垂湊(ぬったりみなと)から内野(うちの)、曽根(そね)、巻(まき)、地蔵堂(じぞうどう)などの河岸場(かしば)をつなぐ蒲原船道(ふなどう)とよばれた舟運が発達し、沿岸の年貢米廻漕(かいそう)の主軸をなしていた。現在は、灌漑(かんがい)用水、上水道源に利用されているが、夏場は水不足に悩まされ、昔のおもかげはなくなっている。

[山崎久雄]

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百科事典マイペディア 「西川」の意味・わかりやすい解説

西川[町]【にしかわ】

新潟県中部,西蒲原(にしかんばら)郡の旧町。越後平野のほぼ中央,信濃川三角州の潟湖(かたこ)地帯を占め,蒲原穀倉地帯の一部をなす。中心市街は江戸時代,市場町として発達,越後線が通じる。2005年3月新津市,白根市,豊栄市,中蒲原郡小須戸町,横越町,亀田町,西蒲原郡岩室村,味方村,潟東村月潟村中之口村新潟市へ編入。24.76km2。1万2668人(2003)。

西川[町]【にしかわ】

山形県中部,寒河江(さがえ)川上流域を占める西村山郡の町。大部分が山地。農林業を営む。湯殿山があり,磐梯朝日国立公園に属する。393.19km2。6270人(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「西川」の意味・わかりやすい解説

西川[町] (にしかわ)

山形県中西部,西村山郡の町。人口6270(2010)。朝日山地東斜面に位置し,寒河江(さがえ)川上流域を占める。町域の大部分を山林,原野が占め,県下でも有数の豪雪地帯である。湯殿山,月山の玄関口にあたり,中心集落の海味(かいしゆう)は出羽三山参拝の行者宿などもあったが,現在は月山で夏スキーを楽しむスキーヤーが年間観光客の過半数を占める。1戸当りの経営耕地面積は県下で最も小さく,木材関係の製造業と観光が中心となっている。人口流出が著しく,1954年の町制施行時に比べ人口は激減している。寒河江川支流の間沢川流域には近世以来多くの鉱山が開発され,なかでも小山鉱山は全国有数の金山として知られた。寒河江川上流に大規模な多目的ダムの寒河江ダムが,1990年完成した。国道112号線(六十里越街道)と山形自動車道が通じる。
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西川 (にしかわ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西川」の意味・わかりやすい解説

西川
にしかわ

新潟県中部,新潟市南西部の旧町域。新潟平野の西部にある。 1955年曽根町と鎧郷村が合体して西川町が発足。 1961年升潟村と合体。 2005年新潟市に編入。 2007年政令指定都市化に伴い大部分は西蒲区の一部となった。中心集落の曽根は近世に長岡藩曾根組代官所が置かれた地で,西川の河港集落として発展。穀倉地帯の一部をなす米の主産地

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世界大百科事典(旧版)内の西川の言及

【四川[省]】より

…益州は江南につぎ第2の地域とされ,その首都成都には府治も置かれた。さらに,益州には剣南道が設けられ,8世紀にはこれを二分し,岷江流域を西川,それ以東を東川とした。このころ,後漢時代に手がけられた嘉陵江の水利工事も再度おこなわれ,上流部の略陽より下流の航行が可能となった。…

※「西川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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