ティプスルターン(その他表記)Tipu Sultān

改訂新版 世界大百科事典 「ティプスルターン」の意味・わかりやすい解説

ティプ・スルターン
Tipu Sultān
生没年:1753-99

インドマイソールセリンガパタム拠点とする小王国のムスリム支配者。1782年父王ハイダル・アーリーの死によって即位し,ニザーム藩王),マラーター勢力と領土支配をめぐって抗争した。また,イギリス東インド会社ともマイソール戦争を3次・4次にわたって続け,フランスの支援を得るためにモーリシャスやフランス本国まで使節を送ったが失敗した。99年,第4次マイソール戦争において敗北戦死した。この後,イギリスは本格的な南インド支配を開始した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ティプスルターン」の意味・わかりやすい解説

ティプ・スルターン
Tipu Sultān

[生]1749
[没]1799.5.4. セリンガパタム
南インド,マイソールの王 (在位 1782~99) 。即位前より父王ハイダル・アリーを助けて,北方マラータ勢力や東方のイギリス勢力と戦った。第2次マイソール戦争では,1782年2月コレルーン川でイギリス軍を破り,同年 10月父王の死とともに,王位を継承した。 84年イギリスと講和を結んだが,90年に第3次マイソール戦争を起してイギリスと戦い,92年領土の半分を割譲して講和した。 99年フランスとの同盟交渉を秘密裏に行なったことがイギリスに知られ,第4次マイソール戦争が勃発,首都セリンガパタムの防衛戦闘中に戦死。

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世界大百科事典(旧版)内のティプスルターンの言及

【マイソール戦争】より

…アングロ・マイソール戦争とも呼ばれる。南インドの植民地化をねらうイギリス東インド会社軍と,それに抗したマイソール王国のムスリム支配者ハイダル・アーリー,ティプ・スルターン父子との間で続けられた戦争。1767‐69年,80‐84年,90‐92年,99年の4次にわたる戦争の結果,ティプの敗北によってイギリスの南インド支配が決定的となった。…

※「ティプスルターン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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