マラーター(英語表記)Marāṭhā
Marhāṭī

改訂新版 世界大百科事典 「マラーター」の意味・わかりやすい解説

マラーター
Marāṭhā
Marhāṭī

インド西部マハーラーシュトラ地方住民のこと。一般には次の三つの異なった意味で使用される。同地方の外部からはマラーティー語を母語とする人々の総称として用いられ,地方内では最大の単一カースト集団の呼称である。またシバージー開祖とし17世紀後半からこの地を中心に勢力を拡大した一大ヒンドゥー王国の名称としても使われる。最も普通には第2のマラーター・カーストを意味し,これに関して,かつて旧ボンベイ州の広範な社会調査を行い《ボンベイの部族とカーストThe Tribes and Castes of Bombay》(3巻,1920-22)を著したR.E.エンソーベンは,それを(1)シバージー自身のサブ・カースト(カーストがさらに細分化したもの)で,王侯将軍地主を中心とした〈真正マラーター〉,(2)耕作農民かつ一般兵士の〈クンビー〉,(3)園芸師,壺作師など12の職人カースト(いわゆるバーラーバルート)に3分類している。これらを総計すればマハーラーシュトラ地方の人口の50%になる。このうち〈真正マラーター〉と呼ばれるものはマラーター王国の支配者層の96家族(この数字には論議がある)からなるとされ,クシャトリヤ・カースト(バルナ)としてラージャスターン地方のラージプート族と関連あるともいわれる。しかし社会学者I.カルベーによれば,マラーターとクンビーの間には結婚に関し一定区別がみられるが,全体としてその差異は縮小され,ほとんどのクンビーはみずからをマラーターと称するといい,現実にマラーター=クンビーと並列させたカースト名を用いることが多い。1875年以降マハーラーシュトラに反バラモン運動が展開されるが,それには上記のいずれのサブ・カーストも参加する。とくに1930年代ころから,農村に地盤をおくマラーター=クンビー・カーストが国民会議派の主導権を掌握した。独立後もこのカーストの政治的主導は強化され,Y.B.チャバーンなどは中央政府の要職にもついている。
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百科事典マイペディア 「マラーター」の意味・わかりやすい解説

マラーター

一般にはインド半島のゴアからボンベイ(ムンバイ)市さらにナーグプル近辺にまで分布するマラティ語を使用する住民をいう。歴史的には,17世紀の英雄シバージーの建てたマラーター王国とその住民をさす。→マラーター同盟

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世界大百科事典(旧版)内のマラーターの言及

【ケーサリー】より

…ケーサリーは〈獅子〉を意味する。デカン教育協会を設立し,プネー(プーナ)市を中心に民族教育普及につとめていたV.チプルンカル,ティラク,G.アーガルカルらは1881年1月に英字紙《マラーター》とこの《ケーサリー》の発刊に踏み切る。両者は特にティラクの主宰下で,19世紀末から20世紀初頭に急進的民族主義思想を掲げるオピニオン・リーダーとして世論を喚起した。…

【ティラク】より

…教育者として出発したあと,20世紀初頭のインド民族運動の中で急進的民族派グループの最大の指導者となる。その主宰する新聞《ケーサリー》と《マラーターMarāthā》はインドの代表的民族紙として反英闘争の強力な武器となる。スワラージ(独立)こそ民族の生得の権利であり,これの獲得は義務であるとの思想をインド人民の心に焼きつけ,スワデーシー(民族産業奨励),イギリス商品排斥,民族教育を掲げて運動を展開。…

【マハーラーシュトラ[州]】より

…州都はボンベイ(ムンバイー)。州名は〈マラーターの国〉の意で,歴史地名としてはデカン高原北西部のうち,ゴーダーバリー川上流域とクリシュナー川上流域との間の地帯をいう。歴史は古く,前1~後3世紀のサータバーハナ朝,8~10世紀のラーシュトラクータ朝,12~14世紀のカーカティーヤ朝,14~16世紀のバフマニー朝などは,いずれもここを根拠地とした。…

※「マラーター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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