翻訳|Tel Aviv
イスラエル中西部にある、エルサレムに次ぐ同国第2の都市。地中海に面する海岸平野の中央に位置する。正称はテル・アビブ・ヤッファ。人口35万5900(1995)、44万7730(2018推計)。もとは紀元前20世紀に始まるといわれる町ヤッファJaffa郊外の農園であったが、紀元後19世紀からユダヤ人が流入して都市を建設した。イスラエル建国(1948)から1949年まで同国の首都で、世界各地からのユダヤ人を迎えて急速に発展し、パレスチナにおけるシオニズム運動の橋頭堡(ほ)としての役割を果たした。1949年にはヤッファから9万人以上のアラブ人を追い出し、翌年テル・アビブにヤッファを吸収して、テル・アビブ・ヤッファと改称した。住民は大部分がユダヤ人だが、ヤッファには少数ながらアラブ人も居住する。イスラエルの経済、産業、文化の中心地で、繊維・食料品・機械工業などが発達するほか、商業活動も活発である。イスラエルがエルサレムを首都とすることを認めない国の大使館がある。ハビマ劇場、フヘレナ美術館のあるマン・コンサート・ホールやテル・アビブ博物館、テル・アビブ大学などがある。
[高橋和夫]
「テルアビブ建設100周年」のページをご覧ください。
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…ヤフォ(英語名ジャッファJaffa)は前14世紀のエジプトの文献にも出てくる古い港町で,パレスティナへの玄関口として栄えた歴史をもち,イスラム時代はヤーファーとして知られた。1909年ヤフォに住んでいたユダヤ人移民団体がその北隣の砂丘地に建設を開始したのがテルアビブで,その後パレスティナに移住したユダヤ人の多くを吸収し,純粋にユダヤ人の,しかも西欧的近代都市として急速に発展し,36年にはパレスティナ最大の都市となった。48年のイスラエル独立と同時に起こった第1次中東戦争(パレスティナ戦争)でヤフォはイスラエルによって攻略され,戦後の49年にはテルアビブがこれを合併して単一の市テルアビブ・ヤフォとなった。…
※「テルアビブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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